リートリンの覚書

古事記 上つ巻 現代語訳 五十六 天降り 日子番能邇邇芸命と五伴緒


古事記 上つ巻 現代語訳 五十六


古事記 上つ巻

天降り

日子番能邇邇芸命と五伴緒


書き下し文


 尓して天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、并せて五伴緒を支ち加へて、天降したまふ。
 是に其の遠岐斯八尺の勾たま、鏡、及草那芸剣、また常世思兼神、手力男神、天石門別神を副へ賜ひて詔りたまはく、「此の鏡は、専ら我が御魂をして、吾が前を拝むが如く、伊都岐奉れ。次に思兼神は、前の事を取り持ちて、政を為せ」とのりたまふ。此の二柱の神は、佐久久斯侶伊須受能宮を拝み祭る。次に登由宇気神、此は外宮の度相に坐す神ぞ。次に天石戸別神、またの名は櫛石窓神と謂ひ、またの名は豊石窓神と謂ふ。此の神は御門の神なり。次に手力男神は佐那那県に坐す。
 故、其の天児屋命は、中臣連等が祖。布刀玉命は、忌部首等が祖。天宇受売命は、猿女君等が祖。伊斯許理度売命は、鏡作連等が祖。玉祖命は、玉祖連等が祖。



現代語訳


 尓して、天児屋命(あめのこやねのみこと)、布刀玉命(ふとたまのみこと)、天宇受売命(あめのうずめのみこと)、伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)、玉祖命(たまのおやのみこと)、あわせて五伴緒(いつとものお)を分け加えて、天降りなされました。
 ここに、その遠岐斯(おきし)八尺(やさか)の勾たま、鏡、及び草那芸剣(くさなぎのたち)、また、常世思金神(とこよのおもいかねのかみ)、手力男神(たぢからおのかみ)、天石門別神(あまのいわとわけのかみ)を副え賜って、おっしゃることには、「この鏡は、もっぱら我が御魂として、吾が前を拝むが如く、伊都岐(いつき)奉れ。次に、思兼神は、前の事を取り持ちて、政を為せ」と仰せになられました。この二柱の神は、佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)を拝み祭りました。次に登由宇気神(とゆうけのかみ)、これは外宮(とみや)の度相(わたらひ)に坐す神です。次に天石門別神(あまのいわとわけのかみ)、またの名は櫛石窓神(くしいはまとのかみ)といい、またの名は豊石窓神(とよいはまとのかみ)といいます。この神は、御門(みかど)の神です。次に、手力男神は、佐那那県(さななあがた)に坐します。
 故に、その天児屋命は、中臣連等の祖(おや)です。布刀玉命は、忌部首等の祖です。天宇受売命は、猿女君等の祖です。伊斯許理度売命は、鏡作連等の祖です。玉祖命は、玉祖連等の祖です。



・五伴緒(いつとものお)
天孫の彦火瓊瓊杵尊(ひこほのににぎのみこと)の降臨に従って、高天原から天降ったと伝えられる五神
・遠岐斯(おきし)
天照大御神を天の石屋から招き出した
・八尺(やさか)
長いこと。、その長さ
・勾たま(まがたま)
先史・古代の日本における装身具の一つ
・佐久久斯侶伊須受能宮(さくくしろいすずのみや)
伊勢神宮内宮に当たる
佐那那県(さななあがた)
佐那縣とは、現佐那河内村のこと


現代語訳(ゆる~っと訳)


 そして、天児屋命、布刀玉命、天宇受売命、伊斯許理度売命、玉祖命、あわせて五伴緒を分け加えて、天降りなされました。

 ここに、天照大御神を天の石屋から招き出した、長い勾玉と鏡、および草那芸剣、また、常世思金神、手力男神、天石門別神をそえ与えて、天照大御神は、

「この鏡は、ひたすら私の御魂として、私を拝むように、心身を清めて祭るように。

次に、思兼神は、今仰せたことを取り仕切り、政を行いなさい」といいました。

この邇邇芸命と思金神の二柱の神は、伊勢神宮の内宮を丁寧に祭りました。

次に、登由宇気神、これは伊勢の外宮のわたらいに鎮座する神です。

次に天石門別神は、またの名を櫛石窓神といい、またの名を豊石窓神といいます。この神は、宮廷の御門の神です。

次に、手力男神は、佐那那県の佐那神社に鎮座しています。

 さらに、天児屋命は、中臣連等の祖先です。

布刀玉命は、忌部首等の祖先です。

天宇受売命は、猿女君等の祖先です。

伊斯許理度売命は、鏡作連等の祖先です。

玉祖命は、玉祖連等の祖先です。



続きます。

読んでいただき
ありがとうございました。



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