137・日本の神様
・穴穂天皇
・大泊瀬稚武天皇
穴穂天皇
(あなほのすめらみこと)
允恭天皇の皇子
安康天皇
別名
穴穂皇子(あなほのみこ)
穴穗御子(あなほのみこ)
穴穗御子(あなほのみこ)
安康天皇(あんこうてんのう)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十三では
このように登場しています。
“二年、春二月十四日、忍坂大中姫を立てて皇后としました。この日、皇后のために刑部を定めました。
皇后は、木梨軽皇子、名形大娘皇女、境黒彦皇子、穴穂天皇、軽大娘皇女、八釣白彦皇子、大泊瀬稚武天皇、但馬橘大娘皇女、酒見皇女を生みました。“
允恭天皇と皇后・忍坂大中姫との間に
生まれた子です。
巻第十三では名前のみの登場で、
詳しい活躍は記述されていません。
そのほか
・中国の『宋書』に記される「倭の五王」の中の倭王興に比定されています。
・安康天皇の石上之穴穂宮があった場所には穴穂神社があります。
祀る神社
蔵王神社(千葉県千葉市)
大泊瀬幼武天皇
(おおはつせわかたけのすめらみこと)
允恭天皇の皇子
雄略天皇
別名
大泊瀬天皇
(おおはつせのすめらみこと)
大泊瀬皇子
(おおはつせのみこ)
大長谷若建命
(おおはつせわかたけのみこと)
大長谷王
(おおはつせのみこ)
大悪天皇
(はなはだあしきすめらみこと)
有徳天皇
(おむおむしくましますすめらみこと)
「日本書紀」では
日本書紀 巻第十三では
このように登場しています。
“二年、春二月十四日、忍坂大中姫を立てて皇后としました。この日、皇后のために刑部を定めました。
皇后は、木梨軽皇子、名形大娘皇女、境黒彦皇子、穴穂天皇、軽大娘皇女、八釣白彦皇子、大泊瀬稚武天皇、但馬橘大娘皇女、酒見皇女を生みました。“
允恭天皇と皇后・忍坂大中姫との間に
生まれた子です。
允恭天皇42年春1月14日、
天皇が崩御しました。
ここにおいて、新羅王が貢物と弔使(ちょうし)等を贈りました。
弔使(ちょうし)等は葬礼がすべて終わり還ることになりました。
帰路の途中、彼らは、愛でていた京城(みやこ)のほとりの耳成山(みみなしやま)、畝傍山(うねびやま)を懐かしみ、「うねめはや、みみはや」といいました。
ここで、彼等に従っていた、倭飼部(やまとのうまかいべ)がこの言葉を聞いて、新羅人が采女(うねめ)に通じたと疑い、大泊瀬皇子(おおはつせのみこ)に報告しました。
皇子はすぐに、悉く新羅の使者を禁固して、推問し、虚言だったと知ると、皆、許しました。
しかし、新羅人は、大いに恨み、更に貢上の物と種類と船数を減らしました。
そのほか
・『宋書』等に記された5世紀末の倭王・武ではないかという説がありますが、確証はありません。
祀る神社
葛城一言主神社(奈良県御所市)
勉強途中です。
新しい知識を得た場合、
随時更新予定です。
ランキングに参加中!励みになります。
ポチッとお願いします。