リートリンの覚書

古事記 中つ巻 現代語訳 十五 七媛女


古事記 中つ巻 現代語訳 十五


古事記 中つ巻

七媛女


書き下し文


 是に七媛女、高佐士野に遊行ぶ。伊須気余理比売其の中に在り。尓して大久米命、其の伊須気余理比売を見て、歌を以ち天皇白して曰はく、 
倭の 高佐士野を
七行く 媛女ども
誰れをしまかむ 
 尓して伊須気余理比売は、其の媛女等の前に立てり。天皇、其の媛女等を見て、御心に伊須気余理比売の最前に立てるを知らして、歌以ち答へ曰りたまはく、
かつがつも いや先立てる
兄をしまかむ 
 尓して大久米命、天皇の命以ちて、其の伊須気余理比売に詔る時に、其の大久米命の黥ける利目を見て、奇しと思ひ、歌ひて曰く、 
あめつつ ちどり ましとと
など黥ける利目 
 尓して大久米命、答へて歌ひて曰く、 
媛女に 直に逢はむと
我が黥ける利目 
 故其の嬢子、白さく、「仕へ奉らむ」とまをす。



現代語訳


 ここに七媛女(ななおとめ)が、高佐士野(たかさじの)を歩いていました。伊須気余理比売(いすけよりひめの)がその中に在りました。尓して、大久米命(おおくめのみこと)が、その伊須気余理比売を見て、歌を以ち天皇に申し上げることには、 
倭(やまと)の 高佐士野(たかさじ)を
七(なな)行く 媛女(をとめ)ども
誰れをしまかむ 
 尓して伊須気余理比売は、その媛女等の前に立っていました。天皇は、その媛女等を見て、御心(みこころ)に伊須気余理比売の最前(いやさき)に立っているのを知り、歌以ち答え仰せになられ、
かつがつも いや先立(さきだ)てる
兄(え)をしまかむ 
 尓して、大久米命は、天皇の命を以ちて、その伊須気余理比売に詔る時に、その大久米命の黥(さ)ける利目(とめ)を見て、奇(あや)しと思い、歌いて、いうことには、 
あめつつ ちどり ましとと
など黥(さ)ける鋭目 (とめ)
尓して大久米命が、答えて歌いて、曰く、 
媛女(をとめ)に 直(ただ)に逢(あ)はむと
我が黥ける鋭目  
 故その嬢子(おとめ)が、白さく、「お仕えいたします」と申しました。



・高佐士野(たかさじの)
現在の奈良県桜井市、狭井(さい)川沿いの台地
・まかむ
相手の身体に腕をかける意の纏くの推量。転じて、妻となさいますかの意
・かつがつ
1・ともかく。何はともあれ。不満足ながら2・とりあえず3・早くも。真っ先に
・利目(とめ)
入れ墨をした鋭い目。刺青。文身とも
・あめつつ ちどり ましとと
「あめつつ」はアマドリ。「つつ」はつつまなばしら(鶺鴒・セキレイの異名)。「ちどり」は千鳥。「しとと」アオジ・ノジコ・ホオジロ・ホオアカなどの小鳥の古名


現代語訳(ゆる~っと訳)


 ある時、7人の乙女が、高佐士野を歩いていました。伊須気余理比売がその中にいました。そこで、大久米命が、その伊須気余理比売を見て、歌で天皇に申し上げました。

大和国の 高佐士野を 
七人連れだって歩く 乙女たち
その中の誰を妻となさいますか

 この時、伊須気余理比売は、その乙女たちの先頭に立っていました。天皇は、その乙女たちを見て、御心のうちに、伊須気余理比売が先頭に立っているのを気づき、歌で答えて仰せになり、

何はともあれ 
先頭に立つ 年長の乙女を妻としよう

 そこで、大久米命が、天皇のお言葉を、その伊須気余理比売に仰せになった時、

伊須気余理比売は、大久米命の目の周りに施された刺青を見て、不思議と思い、歌いて、いうことには、
 
アマツバメ セキレイ
チドリ シトド のような
鋭い入れ墨を目元に入れているのですか?

そこで、大久米命が、答えて歌っていいました。
 
お嬢さんに 直接お会いしたくて 
私は鋭い入れ墨を目元にしているのです
 
 そこで、その乙女は、「お仕えいたします」といいました。



続きます。

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