リートリンの覚書

131・日本の神様 ・大兄去来穂別尊 ・住吉仲皇子


131・日本の神様

・大兄去来穂別尊
・住吉仲皇子


大兄去来穂別尊
(おおえのいざほわけのみこと) 


仁徳天皇の子
履中天皇


別名


履中天皇
(りちゅうてんのう)

去来穂別天皇
(いざほわけのすめらみこと)

大江之伊邪本和気命
(おおえのいざほわけのみこと)

大兄伊射報本和気命
(おおえのいざほわけのみこと)


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十一 
本文では、
このように登場しています。

“二年春三月八日、磐之媛命を皇后としました。皇后は、大兄去来穂別天皇、住吉仲皇子、瑞歯別天皇、雄朝津間稚子宿禰天皇を生みました。”

仁徳天皇と
皇后・磐之媛命(いわのひめのみこと)の間に
生まれた子です。

仁徳天皇7年秋8月9日、
大兄去来穂別皇子のために、
壬生部(みぶべ)を定めました。

仁徳天皇31年1月15日、
大兄去来穂別尊を皇太子に立てました。


祀る神社


稚桜神社(奈良県桜井市)


住吉仲皇子
(すみのえのなかつみこ)


仁徳天皇の子


別名


仲皇子
墨江之中津王
墨江中王


「日本書紀」では


日本書紀 巻第十一 
本文では、
このように登場しています。

“二年春三月八日、磐之媛命を皇后としました。皇后は、大兄去来穂別、住吉仲皇子、瑞歯別天皇、雄朝津間稚子宿禰天皇を生みました。”

仁徳天皇と
皇后・磐之媛命(いわのひめのみこと)の間に
生まれた子です。

巻第十一では
名前のみの登場で
詳しい活躍は記載されていません。

日本書紀 巻第十二
本文では、
このように登場しています。

仁徳天皇87年春1月
仁徳天皇が崩御しました。太子は喪が明けて、天皇に即位する前に、羽田矢代宿禰(はたのやしろのすくね)の娘の黒媛を妃にしようと思いました。

納采が終わり、住吉仲皇子を遣わして、吉日を告げさせました。その時、住吉仲皇子は太子の名をかたり、黒媛を犯しました。

仲皇子は事が表沙汰になるのを畏れて、太子を殺そうとしました。

太子は平群木菟宿禰(へぐりのつくのすくね)、物部大前宿禰(もののべのおおまえのすくね)、漢直(あやのあたい)の祖の阿知使主(あちのおみ)の三人に助けられ逃げ出しました。

仲皇子は太子が不在であることを知らずに、太子の宮を焚きました。

逃げ出した太子は弟・瑞歯別皇子に仲皇子を討伐するよう命を出しました。

仲皇子ですが、太子が既に逃亡したと思って、備えをしていませんでした。

そこで、瑞歯別皇子は密かに仲皇子の近習の隼人・刺領巾を呼びだして、「私の為に、仲皇子を殺せ。私は必ず篤くお前に報いよう」と誘い、錦の衣・褌を脱いでこれを与えました。

刺領巾はその言葉を頼りに、仲皇子が厠に入ったところを矛で刺し殺しました。


祀る神社


丸山大明神(大阪府大阪市)


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