但し、お写真はありません。
今日は、陽射しが強い上
風も激しい日で御座いました。
仁王門の近くへ寄り、
中をうかがいましたところ、
確かに仁王様のお姿を捉える事が出来ました。
隙間から写真を撮ることも出来たのですが
やはり撮影は御遠慮申し上げました。
外から見えにくくしてると言う事は、
写真を撮って貰いたく無い
というお心なのでございましょう。
仁王門を潜り、
左側にある不動の滝を眺めながら
心を静めました。
今日は辺りの緑色が
少し落ちていました。
龍の頭が霞んで見えました。
ここは、かつては『行人が垢離する所』だったとか。
この龍の頭の上にも不動明王が祀られているのですよね。
草木が繁ってるときは気がつかないのですが、
時々、見えることが有るのです。
不動堂の前に立ち、建物などを拝見してから
お賽銭を入れ
お詣りをしていると
奥からご住職が出て来られたので、
中に入って近くで拝観させて戴きました。
末吉不動尊は真っ黒の立像でした。
『御腹籠り聖不動尊』は?
と思いましたら、
手前に数多くの像が並んでいました。
特定できませんでした。
お尋ねしても良いものかどうか迷いました。
この御腹籠り聖不動尊は、
慈覚大師が唐の五臺山の邊りに於いて、
たまたま手に入れた一尺ほどの大きさと聞いています。
向かって左端から一尊ずつお詣りして、
後ろに下がったら汗が滝のように流れ落ちてきました。
汗を押さえながら
気になっていたことをお尋ねしてみました。
友達から聞いていた、
末吉不動と目黒不動のことです。
遣唐使として入唐した慈覚大師は
多数の貴重な仏具、経典を持って帰国し、
品川の常行寺建てたのですが、
お寺から見ると、未申の間に
高い山が見えたそうです。
山の麓を末吉の里と云い
山の頂を不動塚と云い
塚には大木があったそうです。
これこそ明王有縁の地だと見ていたら、
その夜、大木から火焔の光を放つのが見えたそうです。
そこで、里人に命じてこの大木を切らせ、
その跡に大師手ずから一本の松を植えたそうです。
切った大木の本から八尺五寸の明王を彫り、
その御腹に持ち帰った本尊を籠め
その場所に安置したそうです。
そして、その木の末から一尊の明王を彫刻して
乾の方目黒と云う里に安置し、
左右の枝で二童子を刻み、
大師開眼したといいます。
これによると、
目黒不動のご本尊は
元は常行寺の護摩堂のご本尊というか
末吉不動尊と同じ大木から彫られたもの
ということになるのですか~。
鐘楼がないのは、
空爆にあったからなのだそうで、
不動堂内の欄間にその痕跡が残されていました。
彫刻が施されている欄間は四枚あり、
両脇は獅子の彫刻。
中の二枚には鶴が彫ってあり、
鶴のうち右側の欄間の一部が欠けていました。
お話を聞いてからは
境内を散策しました。
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