昨日から風は強いし雨はヒドイし
川崎の事件報道に驚くしで・・・
なんだか気分が思いっきりブルー・・・
暗いと気分も暗くなってなんだか不安になったりしますよね
姪っ子の赤ちゃん(来月1歳)が2日ほど前から40度の高熱に
うなされているとのことで 突発性発疹かな?
と、様子を見ているところだそうです
ワタシは娘が とにかく体が弱く 大変病弱だったので
40度の熱は大人になった今でさえも ちょこちょこ出しておりますが
どれだけ経験しても40度超えはやっぱりコワい・・
慣れません・・(--〆)
娘は突発性発疹に 生後4か月でかかりました( ゚Д゚)
高熱で一番コワかった思い出は
娘が3歳前に喘息から肺炎(☜いつもですが・・)を起こし
さらにインフルエンザ(・・?の疑いもあるとかないとかで
(四半世紀前はインフルエンザの検査って まだ出来なかったんだなぁ
と、今さらながら思いますが・・・)
入院したものの
インフルエンザは抗生剤が効かない、と言われまして
とにかく 40度の熱が下がらない状態が2週間以上続いたのです
食欲もないので 体はどんどんやせ細り(もともと細いのに)
3歳直前でMのオムツがゆるゆるで漏れてしまうほどになった時には
本気でヤバい・・と思いました
家に帰っても 電話が鳴るたび、
「病院からかもしれない( ゚Д゚)」と思ったり
もーいつ呼び出されるかと思うと眠れぬ日々でした
担当医の先生に
「こんなに痩せちゃって・・熱も下がらないし
死なないでしょうか・・」とダイレクトに聞いてしまいましたが
「点滴してますから 死にはしないと思いますけど・・・」
などと言われ
・・点滴してれば死なないの(・・?
・・そういうものなの?
・・どうなのよ( ゚Д゚)
と、心の叫びは徐々に増し
ワタシの精神状態も かなりヤバい感じに仕上がって行きました
そんなころ、病棟の夕食にミカンが出されました
全然食べれない娘には
離乳食もどきの超不味そうなメニューが続いており
ミカンはつきませんでした
オレンジ色のミカンをみて 食べたそうにする娘をみて
隣りのベッドのお子様のお母さまが気の毒がって下さり
「食べて。私、実は今みかん持ってるの」と
バッグからミカンを差し出してくれました
小児病棟ですから これは絶対に禁止されていることで
病棟食以外のものを食べさせるのはご法度でした
それは分かっていたものの そのお母さまのご厚意を
無にするのも申し訳なく・・
そして何より娘がとても喜んでミカンを受け取り
なんと!ぺろっと笑顔で「おいしい」「おいしい」といいながら
食べたので
「食べた!食べれた・・・」
と、ワタシは不覚にも涙が出てしまいました(/ω\)しくしく
とりあえず 口から水分をとれた・・ 良かった(>_<)・・・
と、喜んだのもつかの間
翌日、とってもコワい男の看護師さんが
超コワい睨み顔で
「娘さん 昨夜ミカン吐きました」
・・・・・
ワタシと看護師さんとの間に寒すぎる空気が漂ったのは
言うまでもありません
さて・・一向に下がらない40度の高熱・・・
娘の体力も限界に近い状態で
ワタシの気分も超絶お先真っ暗状態がさらに突き進んだある日・・
担当医の先生がお休みし、代わりの先生がたまたま代診で
娘を診てくれることになりました
先生はカルテをみるなり
「ん?こんなに長く熱が下がらないの?
薬変えなきゃダメじゃないか!!」と言い放ち
「お母さん 薬変えましたから」
と、面会時にやって来て
一言、言うや否やさっさと去って行きました
そして その翌日 たった1日で娘は一気に解熱しました
熱が下がったことはとっても嬉しかったんですけど
どういうこと?( ゚Д゚)
と、心で叫んでしまったことは言うまでもありません
娘は喘息にアトピーに中耳炎に結膜炎に近視に・・と
いろんな病院にお世話になって育ちまして
いろんな先生に診てもらってきましたが
ホントーに いろーーーーんな先生がおりました!!
耳鼻科のくせに中耳炎が分からなかった先生もいますし
👆別の病院に終了間際に滑り込んで診てもらい
鼓膜切開したら40度の熱が一気に解熱しました
(先生の見立てに見切りをつけるもの結構勇気がいるものです)
いらないような薬まで、これでもかってくらい
たくさん処方する先生もいますし
ろくに聴診器も当てずにうんちくだけ語る先生もいました
そういう経験が
どんどんどんどん
ワタシを病院ギライにさせていきました
そして独自の健康法を追究し続ける今の暮らしが確立していったのでした
👆てか それ一番ダメなヤツですけど・・・