7月に入って雨ばかりで 全然晴れませんね・・(-_-メ)
ここまでお日様が見れないと さすがにストレスたまってきます・・
暑いのは苦手なので涼しいのは快適なのですけど・・・(-_-メ)
こんなに雨が続くのは1993年以来とのことで
父は
「昔だったら飢饉だ」
と腕を組みながら外を眺めてつぶやいております( ゚Д゚)
1993年のコメ騒動事件は 今でも忘れず覚えています
1993年の1月に生まれた娘が ちょうど離乳食のもぐもぐ期を迎えたあたりの時期で
0歳児の赤ちゃんにタイ米を食べさせるのはちょっと・・というか
タイ米でおかゆ・・・(-_-メ) マジで無理・・
と・・かなり個人的に困った経験があるのです
しかも ワタシは0歳児の育児に追われ 全くの無収入時期でして
ダンナ様の安ーいお給料で10キロ1万円を軽く超すお米を買うのが
なかなかツラく・・・
7000円の100%タイ米を購入してみたものの
口に入れた瞬間 食べたことのない長細いコメが口の中でバラバラと踊る食感に
「なんじゃこりゃ!
絶対飲み込めないし!」
と、驚愕したものでした
7000円しても このタイ米を10キロ完食することは出来ませんでした
そのうちテレビで
「タイ米の美味しい食べ方」とかいう特集がしょっちゅう流れ
ピラフにしましょう とか リゾットで とか いろいろ紹介されるのですが
ジャポニカ米で育ったお口は ピラフだろうがリゾットだろうが
米はジャポニカがいいんだよーーーっ!!
と、叫びたくなるほどストレスはMAXに達してしまいました・・・
ジャポニカ100%米を求めて 日本国民(特に都会人)が右往左往し
お得意のコメ屋さんがない人は早々にジャポニカ米を入手する手段を失いました
👆ワタシ
そのうち 日本米のおかゆの缶詰やレトルトもなくなり
「パン食べてればいいよね」という順応性あふれる方々も出現し・・
ワタシもパンは大好きではありましたが
3食パンは いくらなんでも無理でした
しかも 日本人である娘の離乳には どうしたってコメを・・・と思ってしまうし
いやはや あの年は ホントーに困りましたです
タイ米100%は どうにも食べれませんでしたが
混合米というコメが市場に出回るようになると まあ何とか食べれるレベルの配合でしたので
混合米を買って その年はしのぎました(それでも10キロ1万円前後しました)
3月ころになってニュースで
なんと国の米倉にコメが余ってるとかいう仰天ニュースを目にし
これまた驚いたことも記憶にしっかり残ってますが・・・(-_-メ)
コメは1万円くらいで購入するのが当たり前の価格という意識が定着したころ
翌年の秋には一気に半額以下まで下がり 値段をみて
「大安売り?!」
と、飛びついてしまったのも 今となっては懐かしい思い出です
米がないって ホントに大変です
お百姓さんには 毎年感謝しなくては・・とつくづく感じたのも
1993年の出来事からです
日本産の日本米が5000円以下で買えてしまう幸せを改めて思い出しました
あの頃は 今よりもっと家計が苦しかったのに
1万円以上のコメを仕方なくですが買っていて
今1万円出したら一流ブランド米が買えるわけだから
そうよ!買ってしまおうかしら!と思いそうになるものの
やっぱり あの時は背に腹は代えられぬ思いで買っていたわけですから
毎日食べる米に1万円は さすがに払えないかなぁ・・
よく生活できたな・・と若き日の自分を褒めたいかも・・
と、いう話をバイト先でしたところ
その日のシフトに1993年に主婦だった人が1人もいなくて
全く共感を得られず これまたビックリしてしまったワタシなのでした
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