子供たちをつれて昼食に出たおり、裏山の家のおたまじゃくしはどうなっているかという話題に。さっそく昼食を終えた後、池のある公園へ。先日、おたまじゃくしをつかまえに訪れたときは、肌寒く、人っ子一人いない寂しいものだったが、今回は家族連れでにぎわっていた。テーブルやテントを持ち込んでバーベキューしていたり、アスレチックで大人も子どもも楽しんでいた。池では、子供たちがたくさんのおたまじゃくしをすくって遊んでいる。木々の香り、鳥の鳴き声。わざわざ渋滞覚悟で遠出しなくとも、こんな豊かな場所がすぐそばにある。ありがたいことだ。
マリア・ジョアン・ビリス演奏のショパン・ワルツ集を聴く。これを書いている時は、たいていパソコンで音楽をかけながらだが、ショパンは久しぶり。はてな。あれほど好きだったショパンのピアノが、なぜか、うるさく感じる。情緒因子に何か変更がもたらされたのだろう。「うるさく」感じる時は、怒っているか、焦っているかなのだ。
そう、私は怒っている。過去に、いろんなものを失ったことを悲しんでいる。その感情を表現することをずっと恐れ、平気なフリをしてきた。さまざま蘇る思い出は、悲しみに満ちている。悲しみに食い尽くされぬよう、怒っている。ずいぶん頑張っているな。そして頑張ってきたな。私の感情たち。というわけで、モーツアルトに変えよう。
マリア・ジョアン・ビリス演奏のショパン・ワルツ集を聴く。これを書いている時は、たいていパソコンで音楽をかけながらだが、ショパンは久しぶり。はてな。あれほど好きだったショパンのピアノが、なぜか、うるさく感じる。情緒因子に何か変更がもたらされたのだろう。「うるさく」感じる時は、怒っているか、焦っているかなのだ。
そう、私は怒っている。過去に、いろんなものを失ったことを悲しんでいる。その感情を表現することをずっと恐れ、平気なフリをしてきた。さまざま蘇る思い出は、悲しみに満ちている。悲しみに食い尽くされぬよう、怒っている。ずいぶん頑張っているな。そして頑張ってきたな。私の感情たち。というわけで、モーツアルトに変えよう。