タイトルや表紙を目にすることが多かったので気にはなっていたんだけど…
何となく不穏な雰囲気がするじゃない?
ストーリー
近所に住む「むらさきのスカートの女」と呼ばれる女性が気になって仕方のない〈わたし〉は、彼女と「ともだち」になるために、自分と同じ職場で彼女が働きだすよう誘導する。
〈わたし〉の視点から、むらさきのスカートの女について語られる。その描写を読む限りでは、むらさきのスカートの女は一定の職に就いているわけではなく服装も質素(むらさきのスカートをいつも履いている)、年齢不詳な雰囲気があるようだ。近所のみんなから「むらさきのスカートの女」として認識され、いつも公園では同じベンチの同じ位置に座る。そのことを知っている人はその場所に座らない。子供たちの遊び(何かの罰ゲーム的な)の対象となっている。そこでは一人の人間というより、触れてはいけない、触れたら何かが起こるかもしれない、特別な存在「むらさきのスカートの女」なのだ。
〈わたし〉にとって、何がそんなに気になる存在なのかわからないのだが、なぜか友達になろうと、同じ職場(ホテルの清掃)で働きだすように誘導する。
この辺で、〈わたし〉って何でそこまでするの?なんでそんなにむらさきのスカートの女にこだわり行動パターンをすべて把握しているの?という疑問が湧いてくる。そして〈わたし〉自身は「黄色いカーディガンの女」として、むらさきのスカートの女のように人に知られてはいないという…。まさか、むらさきのスカートの女になりたいのか???
さて、うまく同じ職場に誘導することができたけれど、そこからむらさきのスカートの女は徐々に変わっていく。見た目も内面も、〈わたし〉や街の人たちが知るむらさきのスカートの女ではなくなってしまうのだ。そして、ついに…
むらさきのスカートの女がむらさきのスカートの女として認識されていた頃が、一番平和だったような気がする。ただ肝心の本人がそのことに満足していたかどうかはわからない。目立たなくとも社会の一員として認められていくことで彼女にもそれなりに欲が出てきただろうし、いわゆる“普通”を望む権利だってある。
最後にむらさきのスカートの女に替わって、「黄色いカーディガンの女」が公園のベンチの指定席に座って同じ立場になった瞬間、ぞわっとした。え!これで終わるの!?むらさきのスカートの女だった女がどうなったのか…これから黄色いカーディガンの女がどうなるのか。
何ともすっきりしない余韻が残りつつも、この不穏な感じが今村さんの特徴なのだなぁと思った。嫌な感じがするのに引き付けられる。これがクセになる人もいるかもしれない。
文庫では他にもエッセイがいくつか載っているので、併せて読むと「なるほど」と合点がいく。こういう文章を書く人は一体どんな人なんだろう?っていう問いへの答え。
今村さんの本、機会があればまた読んでみたい。