みつとの文通が続き 気分が少し楽になってきたが
小さな苦痛を溜め込んで 生きている事が 苦痛 になった
そして クスリを飲んだ 終われる 逝ける
定期的に祖母が私に異常がないか 部屋に来る
危ない状態で 見つかり 病院に運ばれ 胃の洗浄
暫くは 話す事も 歩く事も出来ず 天井を見つめ
みつにココロの中で 謝り続けた
病室に電話を置いてくれ みつに 電話をした
やっちゃった
いつもは優しいみつが 大声で私に怒鳴った
そして みつは 初めて私に逢いに来てくれた 車で7時間かけて
みつと初めて逢ったのは 精神科病棟
二重の鍵と扉 みつは 怖かっただろうな
それでも 逢ってくれた
そして 月に2回は私に逢いに来てくれた
それでも 乱れ続ける私のココロ
そして みつは言った
広島においで
勿論 精神科の先生は反対した 環境が変わりいい方向にいく事をあるが
私はまだ そこまで 無理だと 言われた
みつは 私の両親を説得し 私は 広島へ行く事になった
いつものように 母の運転する車の後部座席に乗り
みつが待つ 高速まで行った 車内は 静かだった
待ち合わせ場所には みつが待っていた
私は 何も言わず 母に背を向けて みつの元へ
母はどんな顔をしていただろう
笑っていた? 怒っていた? 泣いていた?
1度も振り返ら無い 私は 本当に酷い人間だ
何不自由無く育ててくれたのに
私は また 逃げてしまった
広島での生活 楽しく過ごせていたが 発作は治まらなかった
やっぱり 私はダメなんだ 逃げたい 逃げたい 逃げたい
みつは 動かない手足で身体を掻き毟る私を 必死で守っていた
みつが 車いすダンスで東京へ行く事になり 私が付いていく事に
そこで みつの踊る姿に 私もいつか みつと踊ってみた
そんな感情と 私なんかが 踊れるはずがない
私の名前は 太陽の陽と子供の子で 陽子
でも 私は 太陽の光があたる人間ではない 自分でも解ってる
それでも みつの踊るダンス姿が好きで 見ていた
それから 私も 車いすダンスを踊るようになった
初めは凄く嫌で 運動神経無いし 音感も悪い
何よりも 人前に出る事 人の目が怖くてたまらなかった
みつと手を繋いで音楽に合わせて 歩くだけでも 無理っと言って 泣いていた
そんな毎日を繰り返し 2人で目標を立てた
いつか 2人でフロアに立ちたいね
私は内心 無理だと思っていた きっとまた逃げ出すだろう
それでも みつと手を繋いで 踊りとはお世辞でも言えないけど
ココロが凄く楽しんでいた
みつ以外とは まともに話せない私は みつと 踊る事で
言葉ではないけど 沢山の感情を発していた
音楽にのせて 私達は身体で会話をしていた
初めての競技会出場の時 私は 緊張と不安と恐怖で 身体の震えが止まらない
それでも 出番が近くなり フロア近くで並ばされていた
逃げたい 逃げたい 逃げたい
怖くて みつの手を握り締めた みつには私の手を握り返してくれるほどの
握力はないけど みつの感情が伝わった
そのまま 夢にまで見た 目標としていた フロアへ
楽しかった 踊りながら 身体でみつと 楽しいねっと会話していた
ダンスを始めた頃 東京の先生に言われた
この子は 競技を戦って行けるほどの 精神力はない
確かにそうだ 何もかも中途半端で 逃げたしてきた 私
でもね 私 独りなら間違いなく 競技を戦っていけるほどの精神力はない
でも 私は独りじゃない みつが傍にいてくれる
多くを語らないみつだけど
フロアに立つのは私独りじゃない みつと一緒
みつとフロアで語り合う
ほら こんなに 踊る事が好きなんだよ
人と話す事が苦手だけど 踊る事で 自分の感情をだせる
思い出した?
迷子のココロ 私はここにいるよ すぐに傷つけちゃうけど
踊る事で ココロで会話してるんだよ