城野駅前のこの土地は特別な思い出がある、爺さんがガキのころ 木造のトーチカがあったのでよく遊んだ
戦時中は陸軍補給廠になり 戦後は松本清張の <黒字の絵> のように朝鮮戦争の黒人兵の死体処理場になった、一般には知られてなかったが家の従業員の父が勤務していたので知った
一死体20万円当時の物価から想像すると如何に高額か想像がつくが お金は残らなかった、競輪に使って
100円のカネも苦労していた
戦時中は陸軍補給廠になり 戦後は松本清張の <黒字の絵> のように朝鮮戦争の黒人兵の死体処理場になった、一般には知られてなかったが家の従業員の父が勤務していたので知った
一死体20万円当時の物価から想像すると如何に高額か想像がつくが お金は残らなかった、競輪に使って
100円のカネも苦労していた