3坪はどの店だ、聞いてみると昭和50年創業
と言うからこの業界では老舗?と思う
あまり小さいので気がつかなかった。

ドドールほど安くないが、そこそこの値段で
オーナーとばか話の時間を過ごすのも楽しい

キャンピングカーの貨物室の鍵の内側にカバー
を付けた。
こぃっ・「腕木式」になっていて内部の荷物の接触で
開閉不能になる、一度北海道の恵庭市でどうしょうもなく
修理工場にもって行ったことがある
ホームセンターで僅かな費用で出来ますよ~参考までに・・・
武じいは、こんな工作時間が熱中時間であります
16日は武じいの誕生日・・・
カミサンがデパートの京都展で弁当とお菓子を買ってきてくれた
行列したそうだ有難いことです。
僕は1929年生まれ、世界大恐慌の発生の年だ
その5年後親父は自死した、店が破産したからだ。
でも40代まで知らなかった、と言うより知らなかったのは僕だけだった
お袋が黙秘していたからだ、母が死ぬまえ遺書をみせてくれたが
達筆だった父の字がとても乱れていた。
僕はショックで破って捨てたのを覚えている
それから30年余、やがて80才を迎えるが好奇心旺盛だ
久しぶりに 上野焼 に行ってきた
梶原窯 をのぞいてみたら,とても武じいのサイフでは手が出ない
茶碗1個、ご覧の値段・・・芸術家らしき風貌の当主がいた
いいなと思うが、買えないので話かけず失礼した
しかし、せっかく来たのだから庶民向きの協同組合「陶芸館」
で買ったのがコレ
一輪差しの草が気に入った草の名は「秋海どう」だそうで
店員さんから根分けしてもらった,とても可憐な花が咲くそうだ
「安物買いの銭失い」 格言通り ガラクタが増えただけかもお知れないが
秋の日差しの下でコーヒーを飲みながらボケ~と過ごす時間が心地よい
次の機会にまた行きたいと思った.・・・・・
今日は武じいの誕生日:そして午後からパソコン教室だ
1972年にこの事件が起き60年代の激動の時代がこの事件で終息した
団塊世代の方は学生か新入社員の頃と思う・・・・・
武じいはすでに43才、一流大学の学生が何故?と思った
当時のマスコミは山荘の管理人が殺されるのでは、と報道したが
僕は無いと思った。
東大紛争、日航機ハイジャック、など騒乱の時代だったが
今となって過去はいつも懐かしい。
ちなみに田原総一郎さんのこのHPにあったのでコピーしました
↓
田原総一朗 (ジャーナリスト)
十四人の同志を“総括”というたてまえで死に至らしめた連合赤軍事件。この事件については触れないが、狂気の沙汰と切って捨てるのが常識となっていた。いづれも“逃げ”である。私は全共闘世代が、彼らの行動を総括しないまま老いようとしているのは連合赤軍事件という“闇”を切り開く勇気がないためだと考えている。私自身、“闇”に挑む勇気に欠けていた・・・以下省略
武じいの好きな俳優だった・・・・・
プラウザに奥田瑛二監督が緒形さんへの万感の思いを込めた
メッセージがあったので投稿します
楢山節考は感動した