横山政昭の幸せと自由が欲しいです。

施設で生活しています。皆さんに生かされています。思ったこと投稿します。宜しくお願いします。


   

集団的自衛権の暴挙と理不尽を許すな!

2014年08月21日 | 集団的自衛権の恐怖。

今、進められている集団的自衛権の行使容認は、日本国憲法を踏みにじった暴挙です

8月9日、長崎での平和祈念式典での光景です。

被爆者代表者の方がアドリブで発言されました。

心の底から、怒りをこめた言葉です。

粛々と進行する式典の空気を震撼させました。

批判的な人や賛同する人、様々に衝撃を与えた言葉です。

これこそ、暴力では無く、言葉の力の存在価値を証明しています。

首相のコピペ発言とは、雲泥の違いがあると、私は賞賛します。

市長の平和宣言でも、集団的自衛権の危惧が盛り込まれました。

これに対して、自民党国会議員が発言します。

政治的選択について語りたいなら市長を辞職して国政にでろ

まったく非常識な発言です。

集団的自衛権の決定は、国政に携わる国会議員のみの権限だと威張っています。

しかし、国会議員は、我々の参政権の行使に基づき選挙された集団です。

それを、自分たちだけが、国を仕切る権利があるという感覚はもはや錯乱状態です。

その様な集団に私たち国民を守る約束はおおいに期待できません。

平和に対する懸念を発言するのは、市民を代表としての発言です。

そして、当然の責務だと思います。

市長は真摯で代表者としての自覚に優れています。

それに批判する国会議員は自覚がなく下品にしか見えません。

国政の性格を私たち国民はしっかりと監視しなければいけないと思います。

国の安全を考えるのは、私たち国民一人一人の意見が反映されることです。

まして、被爆体験者の意見は大切で尊重するのが、真摯な国政運営ではないでしょうか。

理不尽な政治家を選出する要因に今の選挙方法にも欠陥があります。

選挙方法についても、国民的議論が必要ではないでしょうか。

長崎市長さんや被爆者代表の方の勇気ある常識的な発言に私は敬意を抱きます。

人類から戦争と核兵器を無くす意思が消滅したら、地球を破壊されるのは時間の問題です。

しかも、この地球に生存するのは我々人類だけではありません。

他の生き物から見れば、我々人類は迷惑な存在ではないでしょうか。

科学者の方々も、自らの発明を悪行に使用されないように主張してください。

科学は人類の幸せの構築のために進歩するべきです。


集団的自衛権。元零戦操縦士の危惧。

2014年08月17日 | 集団的自衛権の恐怖。

元零戦操縦士さんのお話です。

操縦士さんは、1942年に零戦に乗りインド洋に飛び立ちました。

その時、初めて英軍の戦闘機と遭遇して空中戦に臨みました。

当時、零戦は「無敵」と恐れられていました。

敵機は、一対一の戦いを避けて逃げました。

弾を撃つと敵機は旋廻して逃げ回りました。

その間に距離を詰ます。

そして背後から機関砲を撃ちます。

操縦士さんが考えた戦法です。

炎上し、落ちてゆく機体を時速500キロ近くで追い抜きました。

その瞬間、操縦席のパイロットを見たそうです。

悲痛な表情で「助けてくれ」と訴えているよに見えたそうです。

自分が手にかけた人間の最期を初めて見たそうです。

俺じゃなくてよかった」と安堵したそうです。

零戦で戦う以上、負けれないと言います。

撃たなければ、自分が殺される。

これが「戦争」だと言います。

操縦士さんはすぐに他の敵を探しました。

その後、敵機を撃ち落すたびに思いました。

あの人にも家族がいたかもしれない

悲しい気持ちになったそうです。

操縦士さんは、戦争中19機の敵機を打ち落としました。

名誉の勲章もたくさん頂いたそうです。

戦後、操縦士さんは、幼稚園を開業しました。

しかし、人を殺めた自分が子供の命を預かっていいのか!

深く悩んだと言います。

91年の湾岸戦争を語ります。

多国籍軍の攻撃を「花火のようだ」と話す若者に恐怖を覚えました。

それを期に、学校などで自らの戦争体験を語るようになりました。

生きるか、死ぬか」を戦い抜いた、満足感もありました。

国に尽くせた誇りもありました。

零戦から逃げていく、相手の命も奪いました。

その顔が忘れられません!

相反する複雑な思いを、どう言えば分かってもらえるのか!

今でも、苦しんでいます。

外国のお付き合いで「集団的自衛権」を使ったら大変です。

特定秘保護密法」で、思ったことが言えない昔のような時代になりますよ。

みんなが、不幸になりますよ。

私は、今は一番危険だと思う!

戦場の空気を理解できないのは、若者だけではないと感じます。

長生きをしたいと思う年齢でもありません。

ただ、次に世代が戦争に苦しむのは耐えられません。

戦争が持つ「罪悪」をどうにか伝えたいと思っています。

以上が操縦士さんの体験談です。

操縦士さんは、戦争中、我が国と家族を守るために戦ってくれました。

しかし、戦争を明らかに否定されています。

殺し、殺される」それが戦争だと教えてくれます。

私たちに、そんな覚悟はあるんでしょうか。

戦争体験者が生存している現在は、私たちは話を聞けます。

しかし、戦争体験者がいない時代が来ます。

その時、誰が戦争の性格を語ってくれるんでしょうか。

私たちは、判断できる時代に生きています。

とても責任が重大です。

同じ戦争体験者の女性が語ります。

気づいた時には遅いんですよ。戦争は国民投票で決めるわけではありませんから。今の雰囲気は当時の雰囲気に似てますよ

国会議員も9割が戦後生まれと聞きます。

戦争を知る人」「戦争を知らない人

どちらが正しく判断できるのでしょうか。

私は、「戦争を知る人」を信じます。


集団的自衛権は徴兵制を否定できません。

2014年08月14日 | 集団的自衛権の恐怖。

徴兵」をめぐり、「あり得る」「あり得ない」の発言や議論が広がっています。

子供たちが戦地に行くのか」と多くの母親さんが心配しています。

首相は徴兵制について、否定する発言を繰り返しています。

その背景には、与野党の政治家の「徴兵制あり」の発言が目立つようになりました。

ネットでの様々な情報が発信されています。

専門家は、現代の戦争では訓練を受けていない一般市民を徴兵しても意味が無いと言います。

しかし、太平洋戦争では一般市民からたくさんの人が徴兵されました。

そして、戦地で現地州民を利用して殺人の訓練を虐げられました。

しかも、その人たちは「C級戦犯」として裁かれ最高刑は死刑でした。

この歴史を見ても訓練を受けていなくても、徴兵して訓練を受ければ兵士に成れます。

問題はなぜ「徴兵制度」が必要になるかです。

米国の戦争への援助が自衛隊だけで賄えれば問題はありません。

しかし、紛争大国米国の援助要請に自衛隊員の数が「足りる」か「足りない」かです。

自衛隊から戦地で死者がでたら、自衛隊に就職する人は増えるのでしょうか。

命の保障が無い職場に誰も就職は希望しないと思います。

最近、米国はイラクに軍事行動を発令しました。

イラク統治が、シナリオ道理に運びません。

それどころか自国のテロに脅えての軍事行動です。

明らかにイラク戦争は米国の失敗に終わり、テロ対策の費用も莫大ではないでしょうか。

その負担を日本にも分割して請負を期待しています。

今は自衛権行使の準備段階で軍事行動に参戦できません。

法整備が完了すれば、必ず参戦することに成るのではないでしょうか。

第十八条何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない

と明記しています。

しかし、意図も簡単に九条の解釈変更を行った内閣であれば厚みの無い十八条など簡単に解釈変更できるのではないでしょうか。

無職の人は職安から自衛隊入隊の斡旋が正常化することになるでしょう。

また、政府も学生就職にも自衛隊の就職を拡充するために学費補助などの政策を打ち出すでしょう。

仕事が無く「生活保護」の申請に行けば、自衛隊の就職斡旋を促されるでしょう。

技能が無く就職出来ない理由は消滅してしまいます。

断れば、「生活保護」を受ける基準からはずされて、結論は餓死か犯罪かの道しかありません。

どう考えても友好国は戦争のやりすぎです。

それを前提に「集団的自衛権」はあまりにも危険すぎます。

いままで戦争に加担せずに生活できたのは、長老の政治家さんの知恵があったからです。

戦争を体験しているから、戦争に詳しく冷静に判断してくれたと思います。

今の内閣は戦争のプロでも経験者でもありません。

そんな内閣に戦争の性格を判断できて、国民の安全性は守れるのでしょうか。

米国の泥沼に一緒に浸かって、日本はどこまで耐えることができるのでしょうか。

兵隊不足になれば、国を守る為に一般市民が「徴兵」されるのは必然ではないでしょうか。

戦争になれば「歯止め」の言葉なんか、まったく意味が無いのではないでしょうか。

今でこそ「憲法解釈」を閣議決定だけで変えてしまう事こそが「歯止めが」無いと思います。

どう考えても私たちの将来は戦火にまみれて、いたずらに国民を消費するしか考えられません。

専守防衛」の歴史をもっと重視するべきです。

いままでの平和の積み重ねの実績を高く評価するべきです。

米国の下請けに成って、倒産したのでは本当に情けないです。

 

 もし、経験がないならば、尋ねなさい。

 尋ねることは恥ずかしいことではありません。

 けれど、知らないことを、

 知っているようなふりをするのはやめなさい。

 マザー・テレサ 日々のことば)より。 

 

政治かも国民も戦争体験者の方々に尋ねるべきです、正しさを。


集団的自衛権、砂川事件の判決を引用する卑劣な行為。

2014年08月10日 | 集団的自衛権の恐怖。

自衛権行使に砂川事件を持ち出し、引用したことを思いだしました。

砂川事件は1955年~57年にかけて、米軍立川基地の拡張をめぐって、

地元砂川町の住民、支援の労働組合員、学生らと、

警官隊との衝突で起きた流血事件です。

裁判において、日米安全保障条約の違憲性が争われました。

一審判決は立川飛行場に乱入し、刑事特別法違反に問われた、

基地反対派に無罪判決を下しました。

駐留米軍は憲法9条の定める戦力不保持に違反する」と判決されました。

日本政府は最高裁で決着をつける「跳躍上告」に打ってでました。

跳躍上告とは、一審において違憲判決の場合、控訴を省略して最高裁に上告することです。

一般の裁判では考えられないことです。

政府には焦る理由がありました。

判決を聞いた、当時の駐日米大使のマッカーサーが仰天したらしいです。

政府に圧力をかけて、跳躍上告を支持しました。

いわゆる、「米国の内政干渉があったということです。

最高裁は「自国の存立を全うするため、必要な自衛のための措置を国家固有の権能の行使

と判決は一変して、米軍の都合に合わせた判例を生んでしまいました。

米軍に脅されて、「違憲」を「合憲」に変えさせられた違法判決です。

その、判例を持ち出し自衛権行使が憲法に違反しないと引用しています。

政府は自分たちの都合のいい解釈に便乗して国民をだまそうとしています。

これが、まともな主権国家の行動とは世界の学者から見ればまことに幼稚でしょうね。

独立国としての、自覚と自尊心がおおいに欠損した「欠陥内閣」を暴露しています。

砂川判決は米国に介入を許したことにより、最高裁が下した「違法性」が存在します。

そんな判例を持ち出すのは、無神経で憲法の存在を認めない姿勢の現われです。

あくまでも、「米国追従」の姿勢を拡大しようとしています。

米国の子分だと諸外国から決定的な見方をされることになります。

自国を守るには、国民であって「戦争オタク」の政治家ではありません。

馬鹿にするのも、いいかげんにしてください。

首相の「コピーペー発言」を見れば分かります。

日頃から平和認識があれば、秘書が書いた原稿など必要ありません。

日頃、考えていることを語りかけるように話せば良いと思います。

その方が人間味があって、聞く人たちも平和をお互いに確認できると思います。

明らかに、私たちは、「幼稚な内閣」に翻弄されています。

私たちの常識の知恵で国のあり方を考えましょう。

これ以上、私たちの意志と名誉を破壊させるのは、断じて許してはいけません。

覚えているでしょうか。

イラクで人質になった高遠菜穂子さん。

いまも、イラクで復興に尽力をつくしています。

日本人には慈愛に満ちた勇者が世界中で平和活動や人道支援に貢献しています。

これは仏教を厚く信仰する国民性ではないでしょうか。

お釈迦様も「武力は人を不幸に導く」と説かれています。

集団的自衛権は人類の戦争を肯定する行為です。

人の手は武器を握らず「自他の幸福」を願い手を合わせることです。

そして、世界共通の信頼と友好を確認する握手こそ本来の人の手です。

武器を握らず、転んだ人に手を差し伸べて起こしてあげることこそが、大切ではないでしょうか。


集団的自衛権。無関心が支配する無智の涙。

2014年08月09日 | 集団的自衛権の恐怖。

原爆で亡くなられた方々に、哀悼の念と不戦の誓いを込めて法華経を唱えさせて頂きました。

ご冥福と来世への幸福を心から願います。

最近、集団的自衛権に関する国民の興味は段々と薄れてきています。

いろんな悲惨な事件が多発して、報道も忙しいですよね。

集団的自衛権の世論調査では、82%の人が説明不足と答えています。

しかし、首相はちゃんと説明しています。

我が国の密接な国が攻撃を受けてわが国に明白な危険があるとき行使する

とても分かりやすいです。

密接な国、いわゆる米国が攻撃を受けたときです。

米国が攻撃されれば、密接なわが国にも脅威が発生すると判断します。

つまり、米国のすべての戦争に日本は参加しますと言っています。

とても丁寧で明白な説明だと思います。

その為には、国民の皆様のご理解を頂、速やかに戦争に備えてください。

首相は過激な言葉を使わず私たちに説明しています。

太平洋戦争前に「治安維持法」が成立しました。

この法律は読んでそのもので、治安を維持することでした。

しかし、改定され戦争を推進する法律へと変貌したそうです。

言論の自由は奪われ戦争を反対する人を取り締まる法律になりました。

類似するのは、今の「特定秘密保護法」です。

この法律もすでに私たち国民の生活の中に違和感なく存在しています。

しかし、有事が発生して米国の戦争の援助をすれば事態が変わります。

参戦して米国の敵を倒せば問題ではありません。

しかし、戦争が解決せずに長引けば臨戦状態は継続されます。

ゆえに、いつでも戦争を発令できる状態を維持しなければいけません。

昔で言うと「いざ鎌倉」ですね。

戦争状態で国を経営する政府は運営が大変でしょうね。

一度でもテロが発生したら緊張感と警戒心はマックスに達するでしょう。

そこで猛威を振るのが「特定秘密保護法」です。

改正を重ねてもっと厳罰的な性格を必要とするでしょう。

国民のプライバシーや思想はすべて政府の管理によって把握されます。

そうしないと治安が守れないと思います。

少しでも、テロリスト的な発言や行動をとると無期限に拘留されるかもしれません。

もはや治安の設定は常識では決めることは出来なくなるでしょう。

私たちも、いつも恐怖に脅えて外国人すべてを疑いの目で見ることになります。

アルカイダには日系人がいる情報を聞いたことがあります。

そうなれば、同じ日本人同士も疑わなければいけない事態に陥るでしょう。

学校でも親が何を話していたか、生徒は尋問される事態にもなるかもしれません。

おおげさでしょうか?

しかし、戦争の歴史を見ればいったん戦争が始まれば終始がつかない状態は明白です。

8月は広島、長崎に原爆が投下された月です。

私も戦争を知らないので正直、実感はわいてきません。

多くの人たちが苦しんで亡くなり、生き残った人も病気に成って苦しんだと聞きます。

原爆を投下した米国の飛行兵は投下を肯定しています。

原爆投下によって戦争が早く終結した話します。

確かに本土決戦になっていれば、もっと犠牲者が多かったと思います。

それどころか国自体が消滅したかもしれません。

しかし、飛行兵は言います。

は核兵器を使用する状態を作ってはいけない

最初は小さな紛争でも大きな大戦争に繋がることは否定できません。

小さくても、大きくても、戦争は戦争です。

日本は多くの犠牲者をだして、戦争を放棄しました。

憲法9条」の存在が日本の平和と復興におおいに貢献したと思います。

この平和憲法も幾百万の命の犠牲のもとで生まれたものです。

大切にしなければいけません。

いまの私たちで「平和憲法」を破壊することは犠牲者の御霊に砂をかけることになります。

憲法9条」を堅持して、育てて、後世へと手渡す義務があります。

冷静に考えてください。

閣議決定」を強行したのは、選挙で選ばれた私たちの代弁者達です。

世論調査なんかに回答しても、なんら解決にはなりません。

反対の意」を実現するのは、選挙で平和的な政治家を輩出することです。

いづれ、次の選挙がやってきます。

政党、候補者がどのような、政策を訴えているかです。

現代の最終的な戦争解決の手段が核兵器の存在です。

そんな結末は二度と起こしてはいけません。

日本は核兵器を持っていません。

核抑止力」の傘下にも参加していません。

そんな立場を利用して世界的な平和推進国として威厳を保つべきです。

日本は民主主義国家です。

主権者がまともな選択をするべきです。

そうすることで、日本はおかしな方向には向かわないと思います。

私には関係ない」「私一人じゃ変わらない

そんな日常的な無関心が悲惨な生活環境を作ってしまいます。

後で悔やんで悲しんでも、もう手遅れです。

無智の涙」を流さないようにしましょう。

この事は、職場や友人や家族の間で日常的に会話が必要です。

必ずよい結果を導くと思います。

メリット」より「リスク」を優先することが大切だと思います。

戦争」に固執しなくても日本は各国との外交はできると思います。

平和な国、日本」をもっと有効に使うことが信頼外交に貢献すると思います。

戦争」を認識せず「平和」を確認してください。