横山政昭の幸せと自由が欲しいです。

施設で生活しています。皆さんに生かされています。思ったこと投稿します。宜しくお願いします。


   

集団的自衛権と安部首相が大切にしている言葉。

2014年07月29日 | 久遠の命。

私の住む山口県は初代内閣総理大臣の伊藤博文さんを育てました。

伊藤博文さんをちなんで歴代総理の直筆の書を集める資料館があります。

同資料館で安部首相の書の贈呈式が7月27日に行われました。

楽在人和楽しみは人の和にあり)」

とても達筆で暖か味のある書です。

贈呈式では安部首相のメッセージが披露されました。

楽在人和」の言葉の大切さについてです。

人と仲良くすることこそ本当の楽しみがある。

対話やお互いを思いやる心の大切さと言う意味です。

とても素敵で寛大な言葉です。

安部首相は就任以来、45ヶ国以上を訪問しています。

各国との友好をとても重んじた交友だと思います。

ただ中国とは一年半たった今も首脳会談が実現していません。

首相は「課題があるこそ対談しなければいけない」と話します。

この言葉を聞くと、首相は「平和的外交」の理念があると感じます。

ただ「集団的自衛権」が中国との距離をひろげる結果は現実ですね。

集団的自衛権が「人の和」を構築できない性格を有することは「」の外交に障壁を築いてしまいます。

国境を越えた「人の和」を構築するには、日本の「軍事力」の性格と目的を整理する必要があると思います。

いまから政府で集団的自衛権の法整備に議論がされていくと思います。

与野党共同で賛否両論の内容の深い議論に期待します。

そして我々国民も議論に参加できる場を設けて「国民的議論」を大きく展開しなければなりません。

一歩間違えば「日本崩壊」のシナリオが潜伏していることを意識しなければいけません。

 

一人の高校生が訴えます。

第二次世界大戦で多くの兵士や民間人が亡くなったことを授業で学びました。

何の罪もない人々がなぜ死ななければいけなかったのですか。

戦争は残酷だと思います。

首相は平和国家としての日本の歩みは変わらないと言います。

でも、その言葉は僕は信じることはできません。

なぜなら集団的自衛権は戦争へと繋がると思います。

人を殺したくありません。

殺されたくありません。

首相にもご家族や親戚がいますよね。

戦争があれば家族を兵士にする覚悟はあるのですか。

身近な方々に悲しい思いをさせてもいいのですか。

今なら間に合います。

日本の平和を保ってください。

集団的自衛権について閣議決定を再考してください。

 

切実に深く身にしみる訴えです。

高校生は勉学に励み良き社会人になるための大切な時期です。

その時期に戦争の不安を抱きながら日々を過ごしています。

私達の学生の頃には考えたことのないことです。

そんな苦しみを子供から大人まで与えている現実を政治家の方々は自覚してください。

あなた達の行動で私達国民の未来が託されていることを・・・・

 

女子高生が友達を殺害する事件が報道されています。

とても悲惨で心が痛みます。

改めて私達は「命の尊さ」を学び確認しなけれいけません。

命の尊さ」を子供に学習させることはとても大切です。

集団的自衛権」はその教育に大きな矛盾を与える性格を有しています。

国民の道徳」の理念を合理的に誠実に構築することが大きな課題です。

命の尊さ」を世界共通の生活行動に取り入れるべきです。

戦争撲滅」への道のりへの手がかりを継承させる責務が今生の私達の使命ではないでしょうか。


仏法の教えを超越する何かがある?

2014年07月28日 | 久遠のいのち。

私はいま「虚空蔵菩薩様」の真言を一日、一万回唱えています。

一万回×百日=百万回です。

7月1日から10月8日(皆既月食:19時54、6分)で百万回で完遂です。

昨日で27日目でした。

真言は(ノウボウ アキャシャ ギャラバヤ オン アリキャ マリ ボリ ソワカ)です。

やろうと思ったきっかけは日蓮聖人の本を読んでいて見つけました。

日蓮聖人は12歳のときこの真言に成功して特別な力を授かったと記されていました。

私は日蓮仏法が説く「仏の最高の教え法華経」を指示しています。

いままでは意味も分からず困ったときや病気になったときなど「お題目」を唱えて救われました。

仏法の教えは大変に難しくて勉強すればするほど思考が混乱してしまいます。

しかし偶然にもこの「真言」の存在を知ることになりました。

弘法大師もこの「真言」に成功して素晴らしい知恵を得たという情報を確認しました。

すべての「経典」が一目瞭然で記憶できて解釈ができるといいます。

私にとってはかなり衝撃的な情報でした。

ネットがあるので色んな情報を確認しました。

そして自分なり計画表を作成して実践しています。

一ヶ月の練習期間も設けました。

私の願いは「世の中の人々がすべて幸せになれる知恵と力を与えてください」です。

なんだかカッコつけてる感じですね(笑い)

しかしこの思いは弟を自殺で無くした悔しさが原動力になっています。

まだ「」の途中です。

成功しないかもしれません。

イヤ私みたいな「凡人」にそんなご利益があるとは正直思っていません。

でも試して見たくてしょうがないって感じです。

まだ「」の途中ですが不思議な感覚が生まれてきました。

それはこの世では存在の確認のできない物体です。

それは生命があるのか?ないのか?分かりません。

とにかく私が知らない何かが存在して、しかも共存しているそんな感覚です。

もしそれが「仏界」という時空の空間と神々ならば理解はできます。

しかしそうではないのです。

それ以上の何か存在します。

その何かを確認できるのではと「真言」を唱えてゆきます。

とにかく不思議です。

たぶん「仏法」の教えを超越した何かが存在します。

虚空蔵菩薩様」に接見できればすべてを教えて頂けるかもしれません。

そして私は「日愛」と仏界称号を名のらせて頂きます。

勝手に自分で決めました(笑い)

そして承諾してもらえば「仏界」へのデビューですね。

すると他の神々とも接見できますね。

とくに会いたいのが「弥勒菩薩様」です。

なんせスーパー菩薩ですからね。

そんなことを考えつつ「仏法」を楽しみながら生活に取り入れています。

施設では自立支援への個人的計画の「ケース会議」があります。

私がこのような話をしたら、職員さんたち沈黙で少し引いていました。

でも「精神の自立」に繋がると思います。

精神的自立」に成功すれば「肉体的自立」の行動に大きく貢献できると思います。


集団的自衛権の行使は何?情けない屁理屈です。

2014年07月27日 | 集団的自衛権の恐怖。

5月15日、自衛権行使の容認の検討を表明した記者会見がありました。

米艦に日本人の子供や母親が乗る絵を描いたパネル」を示しました。

行使容認」の必要性を国民に錯覚させる方法です。

米兵だけが乗る軍艦ではなく「日本人を乗せた米国輸送艦」と想定しています。

何が言いたいのか。

それは、「日本人が利用する米艦が攻撃された場合日本の直接的な脅威」と判断できることです。

つまり「専守防衛」を象徴して「他国の攻撃」だけに対処するだけの「行使容認」と説明します。

素直に聞けば「国民を守るための行使容認」と思う人は少なくないでしょう。

しかし、いままで米国は日米交渉で、日本人救出を断っていたことが報じられました。

しかも、米艦を使って日本人を輸送する訓練は一度も実施されていないそうです。

実績もなく、可能性の薄い事例を想定して「紙芝居」で説明しています。

これは、私達国民が「幼稚」で「理解力」が無いとした前提での説明ではないでしょうか。

まったく馬鹿にするにも限度があります。

あくまで自衛権行使は同盟国の紛争に加担」することを説明しています。

ゆえに「日本国民の生命」が危うくなることを連想さまいと「幼稚」な説明で遊んでいます。

日本人は誠実で向上心が厚く学ぶのが好きな民族です。

自分だけが優れてると勘違いしているのなら「馬鹿な国、日本」とでも唱えてください。

自衛権行使」の想定は大半が北朝鮮の有事を前提にしています。

それなら、韓国との連携は不可欠でしょう。

首相は「韓国の理解を得ていきたい」と表明しています。

しかし、詳しい説明は我々国民には示されていません。

なぜなら韓国との仲が上手くいっていません.

靖国神社参拝」や「慰安婦に関する河野談話」の否定に韓国は強い不信を表明しています。

靖国神社は戦争で亡くなった尊い軍人さんの御霊がねむっています。

日本国民のために戦った名誉ある軍人さんです。

結果的には多くの他国民、自国民の犠牲のもと戦争は終結しました。

敗戦国の日本は「加害国」として裁判を受けました。

いわゆる「東京裁判」です。

その裁判で「日本国」が裁かれるのではなく「個人の軍人」さんが裁かれました。

とくに軍幹部の人は「A級戦犯」として裁かれました。

裁判の様子をテレビで見たことがあります。

最高責任者の「東条英機さん」がヘッドホンを付けて法廷にいる場面です。

堂々として裁判を受けていました。

その姿を見て日本人としての誇りと「大和魂」を感じました。

そして絞首刑になったそうです。

日本国のために戦った軍人さんの御霊に敬意を表するのは同じ日本人としては当然のことです。

しかし、被害に遭った韓国は納得いきません。

政治家が参拝するのは「戦争の歴史」を肯定する行動と判断します。

その行動が他国から「戦犯」に「合祀」すると勘違いされて批判されることになります。

参拝の性格」を世界に明確にする必要があります。

逆にこの行動は中国政府は歓迎しています。

反日感情」を国民に認識させる良い材料になっています。

近隣諸国との「友好的」な対談を行い参拝は「平和への誓い」と理解してもらうことが大切です。

他国の人達も「不戦の願い」を願い参拝してくれることをこころから願います。

河野談話」の慰安婦の事実を確認した表明を「検証」する立場を表明しています。

この行為は「慰安婦問題」を拡大して世界中で検証する結果をまねくのではないでしょうか。

結果的にこれまで以上に「理不尽」な証拠が浮上して日本は益々「非難の的」になる可能性があると思います。

火に油をそそぐ」行為を何ゆえする必要があるのか理解に苦しみます。

幼稚な「屁理屈」をならべて近隣諸国を刺激して愚弄するよりも「真摯」な行動をとるべきです。

気概のある日本」を行動を示し「敬意」を得ることが「国民の利益や命を守る」ことに繋がると思います。


昨日は施設の夏祭りでした。

平和に祭りを楽しめる、そんな世の中が続くことを心から願います。

岸信夫先生の奥さんが来賓して頂きました。

ご丁寧な挨拶と握手を頂きました。

とても綺麗で、感じのいい方でした。

ありがとうございました。


集団的自衛権の未来。武力行使の愚かさ。

2014年07月26日 | 集団的自衛権の恐怖。

先日、マレーシア航空機がミサイルで打ち落とされました。

紛争に関係のない人達298人の尊い命が一瞬に消えてしまいました。

軍用機と民間機の区別ができないのでしょうか。

しかし高度なミサイルを所持するならば、精度のいいレーダーもあるんじゃないですか。

あやまって撃ったとは、とても考えられません。

自分達の紛争を世界中にアピールする意図もあるのではないでしょうか。

この紛争は世界中を巻き込む紛争へと進化して、そして新たな悲劇を生むことになるでしょう。

パレスチナ自治区では、イスラエルとハマスの戦闘が拡大しています。

仲介に入る国々も思案に苦しんでいます。

結果的にたくさんの市民が犠牲になります。

幼い子供たちは、恐怖に震えてお腹をすかせています。

医療も行き渡らず死ぬのを待つだけです。

どうしてこんな現象が起こるのでしょうか。

国際紛争や宗教的意識の違いを「武力行使」で解決することが原因です。

奇麗事では物事は解決しない

その思想はすべての紛争に「武力行使」を使う結果になるでしょう。

武力行使」の性格がいかに「愚か」であるかこの二つの紛争で確認できるのではないでしょうか。

平和は「武力行使」では維持できないのはいままでの歴史が語ってくれます。

第九条日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

日本国民は平和を願いその為には国際紛争の「武力行使」は永久に放棄しています。

戦争に負けたから、こんな情けない憲法になったと言う人も多いでしょう。

しかし冷静に考えたらこれほど常識があり勇気がある憲法は日本の強気誇りではないでしょうか。

日本の平和憲法」が必ず世界に貢献して「平和の認識」を共有できると私は信じます。

戦争が好きなのは一部の愚かな魂で多くの人たちは望んでいません。

いまこそ日本は「平和憲法」を活用して「世界平和」の構築を宣言する好機ではないでしょうか。

日本が「平和的指導者」の立場を認識させて「平和を構築」する意思を表明する絶好のチャンスです。

たくさんの国々の人たちが賛同してくれて日本の「平和憲法」を指示して尊敬するでしょう。

常任理事国」の参入も不可能ではないでしょう。

必ず「憲法9条」が世界平和に貢献できるのは「」ではないと思います。

いまの「集団的自衛権の行使」は世界混乱に参入して「平和の理念」を根底から否定するだけです。

日本は崇高な「平和理念」を唱えて世界に挑戦するべきです。

それが本当の「聖戦」ではないでしょうか。

どんな宗教も基本的に「殺戮」は教えていないと私は信じます。

臆病な日本」ではなく「勇気ある日本」と世界中の人々から慕われ尊敬されることが、

本当の「名誉ある地位」ではないでしょうか。

いまこそ私達日本国民は「世界平和」を心から「希求」する立場を確認する歴史に遭遇しています。

未来の歴史教科書に「日本は世界平和に貢献した」と記載されることを強く希望します。


柳井市生活保護。弟の自殺。

2014年07月25日 | 久遠の命。

浩一が自殺してもう7年のときが過ぎました。

最近はあまり浩一の夢を見なくなりました。

いつもお経を唱えるとき浩一の成仏をお願いしています。

どうか生まれ変わったら幸せな命を与えてください

もしかすると生まれ変わったのかもしれません。

今生で私と再会するかもしれません。

来世かもしれません。

兄弟じゃなくても友達でいいから逢いたいですね。

もう喧嘩をしたくないですね。

仲良くパチンコに行きたいです。

飲みにも行きたいです。

カラオケも歌いたいです。

私の料理を美味しそうに食べてくれました。

また料理を作ってあげます。

どんな形でもいい、とにかく仲良くしたいです。

うつ病を患った彼を救えなかった自分の力なさをいまも悔やんでいます。

友達にお金を借りて返せなくて困っていました。

私の障害年金からわずかな援助をしていました。

私が元気で働いていたら、もっとお金をあげれたのにといまも悔やんでいます。

半狂乱状態でカッターナイフを振りかざし「金を出せ」と寝たきりの私を脅しました。

カッターナイフを取り上げて弟の肘を切りました。

弟は私からカッターナイフを取り上げ私の手を切りました。

布団の上や部屋中が赤く染まりました。

弟は自分で病院に行って治療を受けました。

私は傷口にガムテープを張って血止めをしました。

まったく歩けないので病院に行くのは大変なので自分で治そうと努めました。

傷口はふさがらず、骨が露出していました。

両親に「糸と針持ってきて」と頼みました。

悪いけど縫ってくれんかの」と両親に頼みました。

両親は「ようせんは」と言いました。

しかたないので自分で縫うことにしました。

焼酎を口に含んで傷ぐちに吹きかけました。

かなりしみました。

何針か縫ったんですが、あまりの痛みで縫うことはできませんでした。

しかたないので救急車を呼んで周東病院に行きました。

ガムテープをはがして先生に見せました。

すぐ縫いますから」と治療してもらうことになりました。

先生が「これは傷口が深いので神経をやられてるかも」と写真を採りました。

結局、20針縫うことになりました。

時折、手を眺めては当時のことを思い出します。

本当に悲惨な思い出です。

しかし傷を見ると弟を懐かしむことができます。

私にとっては弟の形見ですね。

死ぬまで残るから安心です。

弟は生活保護で精神病院で薬を処方してもらおうと福祉課に保護の申請に行きました。

態度が悪く意味不明だったんでしょうね。

福祉課の人も迅速に対応できませんでした。

日を改めて相談にのります」と取り合ってもらえなかったそうです。

その夜、私が寝ていた3畳間で練炭を2個焚いてそのまま死んでしまいました。

父は泣きながら一緒懸命に心臓を押したと聞きました。

もうすでに体は冷たく硬くなっていたのですが、父は生き返ってくれと必死だったんでしょうね。

私はお酒と睡眠薬を飲んで意識を失って精神病院に入院していました。

浩一の死は病院で院長先生から聞きました。

私がそばにいたら浩一は死ななかったのかといまでも思います。

福祉課の人は泣きながら「申し訳ないことをしました」と謝罪してくれました。

保護の手続きを進めていたそうです。

柳井市の福祉課の人は親切です。

私もずいぶんと助けていただきました。

全国には酷い役所がたくさんあると聞きます。

「北九州市の餓死事件」を思い出します。

対応する職員さんによって貧困者の命が左右される現実は悲しいですね。

憲法25条の生存権」は怠け者の温床になると考える政治家も少なくないでしょう。

でも本当に病気や失業で生活に困っている人がいます。

これからはそのような人たちがたくさん増えると政府も懸念しています。

結果、生活保護を受けにくい仕組みの導入に励んでいます。

自分の命や家族が食べられればいい」そんな発想者の提案でしょうね。

国の方針から市民を守るのは地方議会や役所や地域住民の暖かい結束が必要でしょう。

柳井市から浩一のような自殺者はもうでないと私は信じます。

柳井市議会は優しい議員さんが多いと聞きます。

市民の優しさが反映されているんでしょうね。

つまり選挙の「一票」ですね。

柳井市議会の方々も市民の生活に目を向けて守ってください。

宜しくお願いします。

最近、私の命の恩人が亡くなりました。

忍田哲夫さんです。

私は彼からいろんなことを教わり平和の大切さを知りました。

そしてたくさん可愛がっていただきました。

私の「平和の価値観と人を思いやる」信念は彼からの継承です。

生前、彼が「わしのことブログで書いてくれ」と頼まれたことがあります。

こんなかたちで書くことになりました。

また彼とのエピソードはたくさんあります。

あらためて書こうと思っています。

本当にありがとうござました。

あの世で合ったら又、安い焼酎を飲みながら政治の話を聞かせてくださいね。

私も勉強して逝くから楽しみに待っていてください。