「自己の尊重」 「自己の主張」
誰もが社会で生きてゆく為にはかかせない自己意識です。
必ずしも人格に限らず何らかの同一性、統一性を持った共存的意識だと思います。
しかしお釈迦様が説く「無明」に照らし合わせれば、また違う「自己」が発見できます。
仏の真理暗いこと。
根源的な無知な状態。
人間などのもつ欲望や執着心などの煩悩が説かれています。
自己中心的な主張は自分では完璧と思えても他から見れば愚かに見えることもあると思います。
自己の尊重を誤れば攻撃的な人格と人を破壊する現象を起こしてしまいます。
それらは自己意識の間違った捉え方で、ただ脅えているだけかもしれません。
本当の「自己」とは何でしょう。
懸命に自分を守ることでしょうか。
そうしないと他の人から自己を否定あるいは破壊されるのでしょうか。
そんなはかない自己は価値がないと思います。
本当の自己とは宇宙のあらゆる「いのち」と融合することではないでしょうか。
清らかで優しく、強くて正義感に溢れた「いのち」を確立するのが真の「自己」ではないでしょうか。
それが、本来私たちが備えている霊性でありお釈迦様が説く「仏性」です。
すべての「いのち」が宇宙と一体と意識すれば相手の気持ちや優しさが見えてきます。
そして、自他ともに尊び調和して「みんなと生きる」意識が育ちます。
人種の違いや宗教的価値観が異なり個人的な争いや戦争がいまの世の中です。
宗教的な価値観に支配されて他の宗教を頭ごなし批判する人がいます。
少しの情報と知識を振りかざし人を批判し追い詰める現象もあります。
そんな人に限って他宗教と分かっていても媚びを売ったり平気でお世話になります。
私も「法華経」を信仰していて同じ信者の行動に強く疑問を抱いていました。
まさしく、ちょつとした宗教戦争ですね。
「法華経」はお釈迦様が説かれた最高の教えと聞きます。
しかし、お釈迦様は最高の教えに至るまでたくさんの教えを説いています。
最高の教えだけ唱えていれば成仏する。
自分以外の者は不浄仏。
自分は優れて他は劣る。
こうなれば成仏以前の問題で人間性すなわつ「霊性」そのものを喪失した状態です。
真の成仏とは共存社会において、平等と優しさ言葉の癒しや施しなどが健康な姿だと思います。
私は「法華経」を信仰しています。
人に聞かれれば法を語り仏法の楽しさや優しさを伝えます。
基本を考えれば、お釈迦様の言葉はすべて尊く私たちに生きる知恵を与えてくれています。
自分だけが優れて従わなければ愚弄する、そんな信仰はお釈迦様は受け入れないと思います。
「正しさはみんなで確認する」その姿勢が愛情と平和を構築すると信じます。
言葉は大切です。
人を傷つけたり絶望させてはいけません。
そうしないと本当のことに人は耳を傾けてくれないと思います。
皆と一緒に「成仏」これを願い日々勉強、法華経を唱えます。
現世の状態は「末法」と聞きます。
各宗派のご住職や指導者の方々は協力して私達に幸せな生き方を示してください。