横山政昭の幸せと自由が欲しいです。

施設で生活しています。皆さんに生かされています。思ったこと投稿します。宜しくお願いします。


   

自殺は必ず地獄に行きます。

2014年11月02日 | 久遠の命。

自殺は絶対に止めてください。

必ず地獄と言う場所に行きます。

死ぬ事は産まれた時から約束されています。それは生命を与えてくれた天空の神々に権限があり

ます。借り物の身体を粗末にすれば、神々も怒ります。現在の私たちが思うほど神々は温厚では

ありません。何故なら元々神々は悪魔だったからです。自らは身体を所有できないから人類を利用

して楽しんでいます。これが、いわゆる煩悩と言います。結論的に人類の我々の身体を持ち得て修

行しています。だから苦しみがあります。どうか負けないでください。

   日愛。


虚空蔵菩薩の真言を終えて。

2014年11月01日 | 久遠の命。

施設のパソコンが壊れました。

スマホアプリからの投稿です。

パソコンが使える時にスマホが購入できたのが不思議です。

一応、真言百日を終えました。

終了三日前の夜に部屋に光が差し込んできました。

何の光か分かりません。

真言終了日の夜私の目の前にやたらと大きい耳をしたお坊さんみたいな人が私を睨んでいまし

た。

今のところ変化としては、宇宙から地球を観察出来るように成りました。青くて綺麗な宝石のようで

す。しかし、ただの石ころのようにも見えます。その石ころが光を放ったり、壊れていくような感じに

も見えます。それは、石ころの結末を確認できる感覚です。それと法華経を唱えると山や空が反応

します。何だか楽しいですね。これからもどんな変化が有るか楽しみです。(^_^)v


仏の真理に明るく言葉を大切に。

2014年09月14日 | 久遠の命。

自己の尊重」 「自己の主張

誰もが社会で生きてゆく為にはかかせない自己意識です。

必ずしも人格に限らず何らかの同一性、統一性を持った共存的意識だと思います。

しかしお釈迦様が説く「無明」に照らし合わせれば、また違う「自己」が発見できます。

仏の真理暗いこと。

根源的な無知な状態。

人間などのもつ欲望や執着心などの煩悩が説かれています。

自己中心的な主張は自分では完璧と思えても他から見れば愚かに見えることもあると思います。

自己の尊重を誤れば攻撃的な人格と人を破壊する現象を起こしてしまいます。

それらは自己意識の間違った捉え方で、ただ脅えているだけかもしれません。

本当の「自己」とは何でしょう。

懸命に自分を守ることでしょうか。

そうしないと他の人から自己を否定あるいは破壊されるのでしょうか。

そんなはかない自己は価値がないと思います。

本当の自己とは宇宙のあらゆる「いのち」と融合することではないでしょうか。

清らかで優しく、強くて正義感に溢れた「いのち」を確立するのが真の「自己」ではないでしょうか。

それが、本来私たちが備えている霊性でありお釈迦様が説く「仏性」です。

すべての「いのち」が宇宙と一体と意識すれば相手の気持ちや優しさが見えてきます。

そして、自他ともに尊び調和して「みんなと生きる」意識が育ちます。

人種の違いや宗教的価値観が異なり個人的な争いや戦争がいまの世の中です。

宗教的な価値観に支配されて他の宗教を頭ごなし批判する人がいます。

少しの情報と知識を振りかざし人を批判し追い詰める現象もあります。

そんな人に限って他宗教と分かっていても媚びを売ったり平気でお世話になります。

私も「法華経」を信仰していて同じ信者の行動に強く疑問を抱いていました。

まさしく、ちょつとした宗教戦争ですね。

法華経」はお釈迦様が説かれた最高の教えと聞きます。

しかし、お釈迦様は最高の教えに至るまでたくさんの教えを説いています。

最高の教えだけ唱えていれば成仏する。

自分以外の者は不浄仏。

自分は優れて他は劣る。

こうなれば成仏以前の問題で人間性すなわつ「霊性」そのものを喪失した状態です。

真の成仏とは共存社会において、平等と優しさ言葉の癒しや施しなどが健康な姿だと思います。

私は「法華経」を信仰しています。

人に聞かれれば法を語り仏法の楽しさや優しさを伝えます。

基本を考えれば、お釈迦様の言葉はすべて尊く私たちに生きる知恵を与えてくれています。

自分だけが優れて従わなければ愚弄する、そんな信仰はお釈迦様は受け入れないと思います。

正しさはみんなで確認する」その姿勢が愛情と平和を構築すると信じます。

言葉は大切です。

人を傷つけたり絶望させてはいけません。

そうしないと本当のことに人は耳を傾けてくれないと思います。

皆と一緒に「成仏」これを願い日々勉強、法華経を唱えます。


現世の状態は「末法」と聞きます。

各宗派のご住職や指導者の方々は協力して私達に幸せな生き方を示してください。


何時かは死ぬんですね。

2014年08月27日 | 久遠の命。

命あるもの、すべてが必ず、死ぬんですね。

生きていることを考えるより、死に方を考えます。

人として生まれた死に方です。

価値ある死に方です。

私の存在は人類だけでは無いことが確認できました。

後は、どう死するか、これが課題となりました。

御役目をどう果たすか、整理しています。

そうしなしなければ、お叱りを受けます。

命は、皆共存しています。

大切さを確認しないといけません。

そうしないと、形あるものへとの継続は許されません。

後、少しです。


私は、安楽死を望みます。

2014年08月19日 | 久遠の命。

日本は、戦後生まれの世代、高齢化社会に直面しています。

日本はすでに多死社会を迎えようとしています。

年間の死亡者数は1970年代の70万人前後から、現在は126万人と増えています。

2040年には、167万人と推計されています。出生率のおよそ2.5倍に相当します。

かっては、自然災害、戦争、疫病、飢えなどにより死亡するのが当然のような時代でした。

人生を不本意に終わらせられる、やむを得ない時代だったんでしょうね。

子供たちの死亡率が高く、天寿を終えるのは、とても難しいことだったと聞きます。

貧しい国では、この現象がまだ維持されています。

解決するには、戦争をやめ、医療と衣食住を確保することです。

日本では、医療の進歩や栄養の確保により、人の寿命が延びています。

しかし、認知症を含む慢性疾患を抱え、衰えていく心身と折り合いながら生きています。

どう生きるか、どう死ぬかの考える時間が長くなりました。

死に関しては、誰もが意識して少なからず、恐怖は抱いているでしょう。

いつ死ぬか、誰もが知りたいと思います。

癌などの病気を患えば、死期が近いと自ら自覚できます。

戦争にかり出されば、死ぬ確率が高くなったことを認識します。

災害による死は検討づかずで、危ういと感じます。

死刑囚は、死は確定していて、執行のときを恐怖を抱きながら待つだけです。

多岐にわたり、死に関する認識と認知が異なります。

しかし、死にたくない、それが基本ではないでしょうか。

重度の病気を患い入院したとします。

寝たきりの生活が長くなると、もう生きていたくない

家族に迷惑をかけたくない

いっそう、死んだほうがいい

などと考える人も多いと思います。

その時に、効力を発揮するのが、「安楽死」です。

海外では、安楽死を合法とする国が増えています。

個人の意思が明白で、家族の了承があれば、様々な方法を提示してくれます。

致死量の睡眠導入薬を処方してもらい、自分で決めた時間に死を迎える方法もあります。

しかし、この様な行為は、自殺幇助と指摘する人もいます。

死にたくても、死ねない」そんな人が沢山いると思います。

日本でも、安楽死については、議論が分散しています。

生と死」深くて、とても大切な問題です。

私は現在、下肢全廃で上肢はかろうじて機能を維持しています。

しかし、私の病気は進行性で全廃は時間の問題です。

いまも体の痛みは、日常的です。

将来は、呼吸器を使用しての生活を覚悟しています。

そんな状態で生きることは、望みまません。

我ままな考えですが、それが本音です。

今は、少しでもやりたいことが出来ます。

出来なくなった自分の身を考えると耐えられません。

私は仏教を信仰しています。

自殺はけして仏界では、認められません。

しかし、自らの命を医師と相談できて、法律の下で終えるなら成仏と考えます。

消極的な考えですが、有効的な行動と判断します。

臓器提供(すべて)に登録しています。

私の死により、誰かの人生の手助けになるかもしれません。

これは、仏教の教え「布施」の精神を大切にしています。

とにかく、頑張ります。

限界まで頑張って私の意志を尊重してくれる、そんな世になれば幸せです。

両親は健在です。

親より早く死ぬのは、不本意です。

両親が死ねば、私には身寄りがありません。

無縁仏ですね。

それでも仏は仏、いいと思います。

ただ残念なのは、元気な若者の自殺です。

様々な理由や悩みがあると思います。

できれば死なないでください。

私も幾度無く自殺行為をしました。

しかし、死にませんでした。

人には生きている意味があります。

どうせ死ぬなら自分の力を発揮してください。

必死」必ず死ぬと書きます。

あせらずとも、必ず死にます。

もう頑張ったからいいや

そう、自尊しての死を迎えてください。

そうすれば、必ず来世へと命は飛躍します。

お互い頑張って、充実した死を迎えましょうね。

それが、久遠のいのちです。