あすは何かが起こる
大分の耶馬渓の青の洞門、紅葉で少し立ち寄った逸話の話。悪いことで人を殺して、
それで母も失くして、苦しんで旅に出る。この耶馬渓の地に来たとき、植田から本耶馬渓に
通るのに岩壁に伝い鎖が一本あるのみである。この若者(禅海和尚)は穴を掘ることを決意。
ここの百姓や他の者は、入らぬせっかいをバカにする。それにしても何年もむきにやって
いる。他国から来たもの、俺らのことを必死にやってくれている。「俺らもやらないと?」
人がグチばかりで手伝いもしない者まで手伝うようになる。数十年が過ぎ、仇打ちの者が
やってくる。仇打ちは忘れてしまったのか? 忘れてはいないが?
この穴を掘るまでまってくれと拝んで頼む。人が必死でやる時は、人に同情をあたえるもの。
仇打ちの者、打たれる者、農民や他の者までが、掘り続けて30数年後に掘れて。
禅海和尚はこの世を去っていく。この地の逸話で物語になっている。大きな過ちを犯しても
必死に行動すれば、人は認めてくれる。「この地に来て、穴があるだけ」?
そう言うので妙な顔をされた。人は言わないと人に伝わらない。
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