こんにちは。
本日は「他是不吾」(たはこれわれにあらず)という禅語をご紹介します。
「他是不吾」(たはこれわれにあらず)」の意味は
「よそはよそ、うちはうち」という自己中心的な意味ではありません。
他人と自分を比較するのではなく、まず、自分が行うことが大事だと悟ったお話です。
由来となったお話は、道元禅師が中国の宋に留学中の体験からです。
あるひとりの典座(てんぞ、禅のお寺で食事の世話をする炊事係)との会話が元になりました。
道元は宋の天童景徳寺に修行中、年老いた典座が外でキノコを干していたのをみて、その老体の典座にこういいました。
「そんなことはご自身でなさらずに、もっと若い者にやらせてはどうですか?」
道元は、親切心から言葉を典座にかけたのですが、老師は鋭い口調でこの禅語を道元に伝えました。
「他是不吾(他は是れ吾にあらず)」
他人にその仕事をさせたのでは、自分が仕事をしたことにならないということを道元に伝えたのです。極めて当たり前のように聞こえるでしょうが、禅宗では全ての仕事、作業がその人の修行なのです。
老師は単なる炊飯係を行っていたのではなく、自分がやるべき仕事を自らの修行として捉えていたのです。
さらに、道元禅師は「ではこんな暑い時ではなく、もう少し涼しい時に仕事をされては?」と言います。
体を気遣う親切心から出た言葉です。
これに対して老僧の答えは、「更待何時(更に何れの時をか待たん)」というものでした。
今やるべき事は今やらなければならない。人生の時間は刻一刻と過ぎ去っていくもの、繰り延べしている余裕はない。
この言葉を聞き、道元禅師は修行の何たるかを悟る事が出来たとのこと。
「他は是れ、吾にあらず」とは空間的位置にあります。
「更にいずれの時をか待たん」時間的位置にいます。
この空間と時間が交差した「今」が現実です。
道元禅師はこれを「而今(にこん)」と言いました。
而今は「今このときをただ懸命に生き抜く」と解釈されています。
過ぎ去った時間ばかりに心を寄せてはいけません。
誰しも過去を振り返ります。
過去の失敗を悔やんでばかりいたり、過去の苦しみから抜け出さずにいたり、あるいは、過去の栄光にばかりしがみついていたりします。
人は誰しもそのような心を持っているものです。
そう簡単に断ち切れるものではないかもしれませんが、大切なのは「今」というこの瞬間に生きること。
一生懸命に「今」を生きていく。
それが未来に繋がっていくのです。
過去の中に生きるのではなく、二度と来ない「今」を生き切ることが大切だと教えている言葉です。
最後までありがとうございました。
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