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なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

遺体  震災、津波の果てに

2020年12月31日 15時33分11秒 | 読書・文学


東日本大震災。生き延びた者は、膨大な数の死者を前に、立ち止まることすら許されなかった-。遺体安置所をめぐる極限状態に迫るルポルタージュ。『週刊ポスト』『新潮45』掲載に加筆修正し、書き下ろしを加えて書籍化

警察官が数人がかりで遺体の体を押さえつけて腕や足を伸ばそうとしていた。
遺体は死後硬直がはじまっており、ある者は腕や足を前に突き出したまま死に、ある者は顔だけを斜めに向けたまま死んでいる。別の者は、犬のように四つん這いになった姿勢で横向きに置かれている。身元確認を行うために真っ直ぐにしなければならない。体重をかけ過ぎて関節を外してしまうこともある。

「これは、津波で流された車がそのまま商店やビルの壁をつき破って内部につっこんでいたんですよ。それで商店やビルのなかで運転手が車ごと発見されたんです。今見つかっているのはそんな遺体ばかりです。

人は死亡した時点で手足の血管の血が凝固してしまうため、心臓からしか採取することができない。ドロドロとしたどす黒い血液が注射器のなかに入ってくる。

冷たくなった胸を両手で力いっぱい押すと、気泡状の海水が喉から溢れてくる。チッチッチッという音は他と変わらない。

ヘドロを被った死屍が累々と横たわっていた。
民家に頭を突っ込んで死んでいる女性、電信柱にしがみつきながら死後硬直している男性、尖った材が顔に突き刺さったまま仰向けになって転っている老人。

震災発生から1週間ぐらいは傷のないきれいな遺体が多かったが、日が過ぎるごとに遺体はむごたらしい姿のものに変わっていった。瓦礫の下で見つかる者が多かったため、頭が潰れていたり、胴体に瓦礫が刺さっていたりしたのだ。体の一部に裂傷があり、そこから腐って色の変わった内臓が出ている者もあった。

直視できなかったのは、津波に流されて海で見つかった遺体である。
腐敗がかなり進行していたのに加え、魚に喰われたり、身体がちぎれたりしていることがあった。

海から引き上げたのは変色した遺体ばかりだった。その多くが潮の流れが交じり合う潮目に瓦礫とともに浮かんでおり、男女とも衣服が脱げて乳房や性器があらわになっていた。激しい津波にもまれているうちに下着や靴下まで剥がされてしまうのだろう。
何日か経つと、遺体は一体また一体と暗黒の海底に引きずり込まれるように沈んでいく。肺にたまっていた空気がなくなるためだ。遺体の一部は数週間して体内にガスが溜まって風船のように膨らみ、再び浮いてくるものもあったが、多くは魚に喰いあらされて沈殿したまま見つからない。三陸沖にはウニやヒトデといった腐肉を喰らう海洋生物がたくさん生息しており、それらがあっというまに目の球や皮膚をつついて穴を開けてガスを抜いてしまうのだ。

館内には、人間が焼けた酸味のある焦げ臭さが充満している。
それらが納体袋に入れられることなく、むき出しの姿で横たわっていたのだ。
「大槌町では津波のあとに大火災が起きたため、散らばっていた遺体の多くが焼けてしまったんです。現在運ばれてきている7割から8割は炭化していると考えてください。それらは顔の見分けがつかないため、ほとんど身元がわかっていません。

安置所を回ってみると、真っ黒に焼けた遺体の他に、腕だけが転がっていたり、頭だけが置かれていたりする。ガス爆発によって吹き飛ばされたか、波に流された何かにぶつかってちぎれたかしたのだろう。そしてそれらは一様に小さく縮んでおり、炭の塊に砂がついているような状態だった。

大皿にはマグロやブリといった魚が並んでいたが、ウニだけは見当たらない。
この近辺では、昔からウニは溺死体にへばりついて腐肉を喰らうといわれている。そのため、震災後はどの店に行っても刺身の盛り合わせにウニが出されることはなくなっていた。

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