N ’ DA ”

なかなか勝てない馬がいる。今日もその馬が走る。
がんばれ、と声が出る。
まなざしは、ゴールの先を見つめている。

「日本百名山」・後記

2021年04月05日 14時08分13秒 | 深田久弥
日本人ほど山をたっとび山に親しんだ国民は、世界に類がない。

しかし私は山に関しては執念深いから、戦後再び志を継いで、還暦の年にそれを完成した。
本書にあげた百の名山は、私は全部その頂点に立った。
百を選ぶ以上、その数倍の山に登ってみなければならない。

そこで私は日本中の山を漏れなく探して、百名山を選ぶことにした。
麓から眺めるだけでは十分でない。私は全部登った。中には何度か退けられて、ついに登った山もある。ともかく絶頂を踏まねば承知できなかった。登ってみもしないで選定するのは、入社試験に履歴書だけで採否を決定するようなもので、私の好まないところであった。

もちろん私の眼は神の如く公平ではない。
私に自信を持たせてくれたのは、50年近い私の登山歴である。
選定についてまず3つの基準をおいた。
その第一は山の品格である。
厳しさか強さや美しさか、何か人を打ってくるもののない山は採らない。
人間にも人品の高下があるように、山にもそれがある。
人格ならぬ山格のある山でなければならない。

第二に、私は山の歴史を尊重する。
人々が朝夕仰いで敬い、その頂に祠をまつるような山は、おのずから名山の資格を持っている。

第三は、個性のある山である。
その山だけが具えている独自のもの、それを私は尊重する。
その中で強烈な個性が私を惹くのである。

附加的条件として、大よそ1,500m以上という線を引いた。
ある程度の高さがなくては、私の指す山のカテゴリーには入らない。
例外はある。筑波山と開聞岳。なぜそれを選んだかは、その山の項に書いてある。

最初に私は百名山候補のリストを作って、その中から選択していった。
70%くらいは問題なく通貨したが、あとは及落すれすれで、それを篩(ふるい)にかけねばならぬのは、愛する教え子を落第させる試験管の辛さに似ていた。

具体的に言おう。
北海道では9座挙げたが、そのほかに、ウペペサンケ、ニペソツ、石狩岳、ペテガリ、芦別岳、駒ケ岳、樽前山などは有力な候補であった。ただ私はそれらの山を眺めただけで、実際に登っていないという不公平な理由で除外したことは、それらの山に対して甚だ申しわけない。

東北地方では、秋田駒ケ岳と栗駒山を入れるべきであったかもしれない。
森吉山、姫神山、船形山など、いい山であるが、少し背が足りない。

一番迷ったのは上信越であった。
ここには高さの第一級はないが、第二級がゴロゴロしている。
しかもいずれも私の好きな山である。
女峰山、仙ノ倉山、黒姫山、飯綱山、守門山、荒沢岳、鳥甲山、岩菅山、その他、百名山の中に入っても少しも遜色のない山がたくさんある。

本州の背骨をなす日本アルプスは、目立つものを数えただけでも忽ち30は超えてしまう。
その中からの選択も私を当惑させた。
当然選ぶべきものに、雪倉岳、奥大日岳、針ノ木岳、蓮華岳、燕岳、大天井岳、霞沢岳、有明山、餓鬼岳、毛勝岳などがあった。
南では、大無間山や七面山も入れたかった。

北陸では白山山脈の笈ヶ岳か大笠山を入れるつもりであった。
こんな隠れた立派な山があることを世に吹聴したかった。
しかしまだ登頂の機会を得ないので遺憾にも割愛した。

関西で選んだ伊吹山、大台ヶ原山、大峰山のほかに、昔から名の聞こえた鈴鹿山か比良山を加えたかった。御在所岳はもう遊園地化していたし、藤原岳に登って鈴鹿の山々を眺めたが、何にしても高さがないことが、私を躊躇させた。

中国は高山に乏しい。
伯耆(ほうき)大山に登った日は絶好の秋晴れで、その頂上から山陽・山陰を仕切る脊梁山脈を眺めた。・・・蒜山(ひるぜん)へも訪れてみたが、名山として推すには物足りなかった。
更に東へ西へ行って三瓶(さんべ)山へ登った。
こうして中国では大山1つになった。
もし他に挙げるとすれば氷ノ山かもしれない。

四国の石鎚山と剣山の2座は異議のないところと思う。
九州は6座選んだが、ほかに由布山、市房山、桜島山が念頭にあった。
いずれも個性のあるみごとな山である。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿