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10年前に山に登っていなかったら、女優を辞めていたかもしれない。いっけん何の関係もないような山と女優業だが、幸か不幸か密接に結びついてしまった。少なくとも山に登らずに今、この歳を迎えていたら、本当につまらない人生だったろうとゾッとする。それほどに自分の生活や考え方に多大な影響を与えられた。自己をみつめ、心の変化も描いた初の書き下ろしエッセイ
1 初めての山
2 山に夢中
3 遊びの名人
4 自分探しの山旅
5 女優と「私」
しばらくして先生から連絡があり、
秋分の日の連休に、北アルプスの燕岳;2,673mと常念岳;2,857mに登ることが決まった。
私は12歳で伊豆の両親の元を離れた。
運動と名のつくものはすべて嫌いだった。
以前から、努力とか根性とか、額に汗するといったイメージを忌むみ嫌い、「体育会系の人ってなんだか押しつけがましい感じがして嫌よね」と平然と言い放っていたのである。
それなのに「山へ連れていってください」と言ったのは、確かに私だった。
1990年9月21日、夜行列車に乗って大糸線穂高駅に着き、そこからバスに乗り換えて登山口の中房温泉に到着した。
ところがいきなり、前の人の足の裏だけを眺めるような急な登りが始まったのだ。
えっ?ハイキング程度じゃなかったの?と思ってももう遅かった。
麓で温泉に入って数日ぶりの垢を落とし、しみじみとした幸せを感じていた。
この幸せは、毎日義務のように入るお風呂では決して感じることはできない。
本当の幸せって、こんなささいなことなのだろうか。
食欲が道連れだと重い荷物なんかまったく苦にならないものだ。
田部井淳子さんと箱根の旧街道を一緒に歩いた。
「どんな山も一歩一歩なのよ。
一歩、一歩、足を前に運びさえすれば、8,000mの山だって登れるのよ」
「やりたいと思ったことはやればできるの。
やりたいのにできないと言っている人は、本当にやりたいわけでないのよ」
共通の趣味をもっている夫婦は絆が強いようだ。
山登りはどんな低い山でも、ある種の極限状態になり、人の本質を見せてくれる。
山はお互いを理解する格好の場となる。
結婚相手は一度山に連れていくべきだ、と遅ればせながら思う。
枯れたハクサンイチゲが心細げに揺れていた。
この花がなんとなく気になるのはやはり同名のよしみか。
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