埼玉県東松山市大字岩殿の斜面に立っている岩殿観音正法寺の境内に立つ大イチョウの木を見に行ってきました。
この岩殿観音正法寺(いわどかんのんしょうぼうじ)は、真言宗智山派の古刹です。
正式な名前は、巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)です。
この古刹は東松山市の南西にある山麓の急斜面に、718年(養老2年)に沙門逸海という方が岩殿山の岩窟に千手観音像を安置し、草庵を設けたことが起源だそうす。
当時の関東平野はかなりの山奥です。
11月下中になると、岩殿観音正法寺の観音堂の横に立っている大銀杏が見事に黄色く色づくことがとても有名です。
推定樹齢が700年という、埼玉県内では一番古いイチョウだそうです。室町時代から生きているイチョウです。
この大イチョウの木が黄色く染まる12月の第一日曜日には、いつもは秋祭りが開催されるそうです(今年は開催されたかどうか不明です)。
江戸時代には、このイチョウの木は“養老木”と呼ばれ、女性の安産・子育守護の対象となった大木だったそうです。
大イチョウの根元や根元の上の幹は古木らしい外観です。
この大イチョウの周囲には、黄色く紅葉した落ち葉が敷き詰められています。
巌殿山正法寺の鐘楼です。崖の縁にあり、鳴らすと遠くまで響きそうです。
青銅製で元亨2年(1332年)に製作されたといわれています。
この巌殿山正法寺の斜面の下には、昔は門前町の商店や家々が並んでいたそうです。とても賑やかな門前町だったようです。
ここは坂東三十三箇所の十番札所です。
今回、この巌殿山正法寺の大イチョウを見に行った理由は、弊ブログのフォロワーの埼玉県民のお二人の方が、それぞれにこの大イチョウの木が黄色く紅葉した話を、それぞれのブログでご紹介になったことがきっかけです。
たまたま、この近くに用事ができ、そのついでに、この大イチョウを鑑賞して来ました。2年ぶりの鑑賞でした。
この岩殿観音正法寺(いわどかんのんしょうぼうじ)は、真言宗智山派の古刹です。
正式な名前は、巌殿山正法寺(いわどのさんしょうぼうじ)です。
この古刹は東松山市の南西にある山麓の急斜面に、718年(養老2年)に沙門逸海という方が岩殿山の岩窟に千手観音像を安置し、草庵を設けたことが起源だそうす。
当時の関東平野はかなりの山奥です。
11月下中になると、岩殿観音正法寺の観音堂の横に立っている大銀杏が見事に黄色く色づくことがとても有名です。
推定樹齢が700年という、埼玉県内では一番古いイチョウだそうです。室町時代から生きているイチョウです。
この大イチョウの木が黄色く染まる12月の第一日曜日には、いつもは秋祭りが開催されるそうです(今年は開催されたかどうか不明です)。
江戸時代には、このイチョウの木は“養老木”と呼ばれ、女性の安産・子育守護の対象となった大木だったそうです。
大イチョウの根元や根元の上の幹は古木らしい外観です。
この大イチョウの周囲には、黄色く紅葉した落ち葉が敷き詰められています。
巌殿山正法寺の鐘楼です。崖の縁にあり、鳴らすと遠くまで響きそうです。
青銅製で元亨2年(1332年)に製作されたといわれています。
この巌殿山正法寺の斜面の下には、昔は門前町の商店や家々が並んでいたそうです。とても賑やかな門前町だったようです。
ここは坂東三十三箇所の十番札所です。
今回、この巌殿山正法寺の大イチョウを見に行った理由は、弊ブログのフォロワーの埼玉県民のお二人の方が、それぞれにこの大イチョウの木が黄色く紅葉した話を、それぞれのブログでご紹介になったことがきっかけです。
たまたま、この近くに用事ができ、そのついでに、この大イチョウを鑑賞して来ました。2年ぶりの鑑賞でした。
コメントをいつもお寄せいただき、ありがとうございます。
埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は紅葉して見事に黄色く染まっていました。
東松山市の地元の名所になっています。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
大イチョウの根元は、黄色く染まっていました。イチョウの木の長寿に驚きますね。
見事つてす、🔥
室町時代から、この場で人々を見守って来た樹齢700年の銀杏の木。
この木の下に立てば願いが叶うような・・・
頼もしい感じです。
紅葉も未だ見られるのですネ。
茅葺の鐘楼も雰囲気が在りますネ。
遠くまで響く鐘の音を聞いてみたいデス。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
樹齢700年の大イチョウの木に驚きました。室町時代から時代の変化を見守っています。
歴史の目撃者ですね。
江戸時代には、女性向けに授乳が良好なように願いがかけられた古木なのですね。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
古墳時代から人が生活してきた近畿に比べると、関東地方は遅くに開拓されました。ただし、埼玉県も群馬県にも古墳がいくつかあり、一部は早くから開拓されたようです。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
この大イチョウの木は700年間にわたって、人間の動きを見てきたようです。現代人をどう評価しているのか気になります。
銀杏の絨毯も綺麗なのだと思います!
茅葺の梵鐘は初めて見ました、良い音が出ると思いますね
先日行った奈良の一言主神社に大銀杏がありました
根元の大きな乳根、乳首で知られています。
戦国時代は埼玉県では新潟の上杉氏(関東管領)と神奈川県小田原市の北条氏との争いが続き、豊臣秀吉軍による小田原市の北条氏攻めもあり、歴史を経ています。
大イチョウは人間の動きを見続けていますね。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
ソングバードさんが3回にわたってご紹介なさった古刹です。
いつの世も、安産祈願、母乳が出ることが求められているようです。
おはようございます。
立派なイチョウですね!
室町時代から生きているとは驚きますね。
安産祈願、母乳が出るようにと女性のお参りがきっと絶えなかったのでしょうね!
見事な黄葉です。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
この東松山市辺りは、秩父から流れ下ってきた荒川が平野部をつくった辺りの土地です。
この岩殿観音正法寺の境内から、関東地方の筑波山まで眺められます。
関東平野が広いことを感じます。
私も行くたびに色々出かけましたが
立派なお寺ですね。
銀杏の見事な事!!
ブログつながりの情報はいいものですね。
寒くなりました、埼玉はまだ暖かい方だと思いますが。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
室町時代は、文明が進んだ近畿と異なり、鎌倉を中心とした近代化が関東地方でも始まり、(新潟県)越後の上杉勢と(神奈川県)小田原の北条勢との争いの場でした。
この大イチョウはこうした争いを見てきたようです。
これだけの大木イチョウになると、よほどでないと変化はお感じになれないでしょうね。
変わらない安心感、必要と思います。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は見事に黄色く染まっていました。
ご指摘の通りに、根元の乳根や乳頭は相当大きいです。このことをよくご存じですね。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は黄色く染まっていました。
大きなイチョウの木の周りは、落ち葉で黄色く染まっています。
この周囲は雑木林が続き、冬の野鳥が観察できます。いい山麓です。
綺麗に黄色く色ずいてるからこれが一斉に散ったら凄い分厚い絨毯ができそう
散っても十分楽しめる大イチョウですね
女性の安産・子育守護の対象になってるってことは乳根や乳頭が相当大きくなってるんでしょうね
岩殿観音正法寺の歴史とともに歩んで来たであろう
見上げるようなイチョウの大木は素晴らしいです。
山の斜面に立つから一層それを感じられたことでしょう。
木の枝にこれだけもの葉を残しながらも、足元も黄葉で埋まる境内の
素晴らしさも想像できます。
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埼玉県東松山市の斜面に立つ岩殿観音正法寺の境内にある大イチョウの木は黄色く染まっていました。
大イチョウの木の根元も、黄色い葉で染まっていました。
戦国時代には埼玉県は新潟の上杉氏(関東管領)と神奈川県小田原市の北条氏との争いの場でした。
こうした戦いを見てきた大イチョウのようです。