→大きな地図で見る
※『元禄3年「関八州伊豆駿河国廻米津湊浦々河岸之道法井運賃書付」』(部分)
引用:「江戸の川、東京の川」鈴木理生著 発行所:株式会社井上書院 140頁
上の図は30万都市江戸が100万都市になる直前の「広義の利根川」流域の交通事情を
示すものです。図に注釈がありますが、河岸の年代ごとの分布図です。
黄いろで色づけたところが先日ブログで書いたうねうねと蛇行のすごい新河岸川です。
ちょっとびっくりなのですが、、海のない県、埼玉・群馬・栃木県に湊町が多くあります。
河岸の様子がうかがえる絵図がありましたので、以下のサイトから引用いたしました。
引用・参照:わたし彩の『江戸名所図会』0048新川酒問屋
にぎわっていた湊町も、明治中期以降の治山・治水の技術の転換の結果、ことごとく
なくなりました。
『上の図にみるような河岸の発達は、元禄期になって急に成立したものではなく、
古代以来からの人々の長い知恵の蓄積が関東地廻り経済の成立という経済的条件を
背景にしてはじめて形成されたものである。この大きな水系の集約点に立地したのが
江戸であった』そうです。
※江戸湊の河岸
引用:「江戸の川、東京の川」鈴木理生著 発行所:株式会社井上書院 146頁
その江戸湊の河岸の分布が上の図です。
時代により相当な変動があったが、すべての町地を示す。この図で空白になっている
現在の中央区南部の級京橋地区の河岸や運河の多くが幕府と諸大名の直営物揚場であった
ためであり、水面にそった場所は、すべて実質的な河岸と湊であったとあります。
以前読んだ「江戸の川、東京の川」を読み返してみました。
あの蛇行のすごい新河岸川に古くから舟運が発達し、多くの河岸があり、にぎわい
をみせていたかと思うと、非常に興味深いです。
川の歴史は人の歴史だなぁ・・って、なんかうまくいえませんが、解明とかじゃなく
いろいろ知りたいな!と単純に思います。
この水系の集約点である江戸の都市構造とか、成り立ちとか、人口分布とか、
土地利用とか・・なんだかいろいろ面白そうです。
我が街江戸川区辺りは江戸の野菜を作ってたわけですし、そういえば塩の道という
のもありました・・まぁ川を調べるとお江戸に限らず、地域は広がり面白そうです。
あちこち書籍やら、様々な地図をみながら、!や?マーク付きの私の感想や驚き、はてなを
都度つぶやいていきたいと思っています!
江戸の川・東京の川鈴木 理生井上書院このアイテムの詳細を見る |
人気ブログランキングへ
私のブログをご覧いただきありがとうございました。
エドルネ様が地図に関して造詣が深いのには驚きでした。(失礼しました!)
特に地図ソフトに関する知識の豊富さには脱帽です。(ご伝授を願います!)
また江戸の河川についての記事を読ませていただきましたが、ちょっと面白い話題を扱った私のHPがありますので、もしよろしければご覧ください。(上記のアドレス)
【三十三間堀川にあった三原橋についての謎です!?】
PCの前まえで「えぇぇぇ~!!!」と何度も仰天してしまいました。^^;
それにしても、すごい検証です。写真やら地図やら
当時がしのばれるものばかり・・。
HPは初めて伺うのですが、ちょこっとみただけでも、
まるで宝石箱のような輝きです!
じっくり拝見させていただきます。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。
河岸の分布は単純に驚きですね。さぞかし喫水の浅い船だったと想像できます(先生の「江戸・東京の川と水辺の事典」、買えてません…)。
ハマちゃんさんの詳細な記事、とても良かったです(ここを勝手に借りまして、お礼申し上げます)。
ちなみに三原橋地下街の建物は著名な方の設計で、有名なモダニズム建築です。テナントの「傳八」はおいしくて、安いのでオススメです。
ではでは
事実には驚きです!川の歴史は複雑で、なかなか
覚えきれないのですが、ここで呟いておけば
少しは忘れっぽい私でも覚えていられるかな・・
なんて思って書いています。
ハマちゃんさんのHP、ほんと充実していますよね。
三原橋地下街見に行きたくなりました。
建物も見どころがあり、美味しくて安いお店が
あるなんて・・いかなきゃ損ですね!
こうしていろいろ情報をいただけるので、
有り難いです。^^
今後ともよろしくです。
先日の新河岸川の蛇行も荒川の蛇行もすごく、川沿いの人達の川との関わりが勝手に想像できると言うか、勝手に想像してしまうのが楽しいです。
東京の発展は荒川と利根川の治水に追うところが大きいですね。
昭和27年生まれの私にとって三原橋は、昭和通りと晴海通りの交差点ではなく、正にあの地下街です。あの映画館のションベン臭かったり、ポルノ映画ばかりやっていたりしていましたが、ずいぶん綺麗になったみたいですね。
銀座三越と英国屋の中間のマンホールより今でも地下街に行けるようになっているというのを、4,5年前のTVでやってました。
詳しくは私も昔よく行った「食堂三原」のおじさんとおばさんが知っていますよ。
古地図でみると、少しいくと築地川・・水路が
発達していて、随分と魅力的な街だったように
想像しています。
治水や上水などネットや本で資料をみていると
同じ時代の世界の都市にくらべても、すごい
技術力で、エコだったことに感心してしまいます。
難しいことはわかりませんが、いろんな意味で
学ぶことが多そうです!