江東区横十間川にかかる岩井橋は、あの四谷怪談のお岩さんにちなんだものだといいます。
鶴屋南北作『東海道四谷怪談』は、実在の場所や当時江戸の町で話題に
なっていたいくつかの実話をもとに創作されています。
第三幕「砂村隠亡堀の場」は、境川 ( 現在の清洲橋通り ) と横十間川の交差する辺り
にあった掘割が舞台になっています。戸板に括くくり付けられたお岩さんと小仏小平が
流れつくことになっています。
とは火葬に従事する人のことです。堀は実在の掘割で、
火葬場がそばにあったため、そのように呼ばれていたようです。
※引用:江東区深川江戸資料館 資料館ノート第74号江東の掘割・川⑥江戸近郊農漁村の掘割
※引用:江東区深川江戸資料館 資料館ノート第74号江東の掘割・川⑥江戸近郊農漁村の掘割
mapfanの地図→http://mapfan.to/p60UeC
岩井橋(赤い十)は、横十間川と今は暗渠となっているかつての境川が交差しているポイントで
物語のお岩さんと小仏小平が流れ着いた亡堀があった場所です。
当時どんな場所だったかというと・・・
この辺りは、新田開発や町場化が進む一方で、火葬場もある寂しい土地でもあり、
江戸からみると都市 と農村 の 中 間 の よ うなところだったのです。
(物語の下地になる話もあり)、当時の掘割は、俗にドザエモンと呼ばれる水死体が発見されたり、
カッパなどの伝承が話題にされたりする場所でした。
(※引用:青字部分→江東区深川江戸資料館 資料館ノート第74号江東の掘割・川⑥江戸近郊農漁村の掘割 )
・・・とあり、なるほど、物語の舞台としてぴったりな?さびしい場所だったんですね。
もう少しこの場所のことを調べてみました。
※引用(上図):東京の地理がわかる事典 鈴木理生p35
「東京の下町低地には、広い意味での利根川の河口部=沖積地である。
この低地には、早くから人間が進出してきて生活していた。「正倉院文書」には、8世紀の
葛飾郡大嶋郷の戸籍が残されていることからもわかるように、東京の「歴史はこの河口部から
はじまっている(ちなみに現在の江東区大島は先の葛飾郡大嶋郷という地名の名残である)。」
※引用(青字):東京の地理がわかる事典 鈴木理生p34
・・・とあり、案外このあたりの歴史は古い!
この本に載っていた、東京のタテの川とヨコの川の話も興味深く、
塩の道小名木ルートなど、新川とのからみもあるので、いろいろと調べてみるのもおもしろそうよ♪
※和船乗船&散策ルートマップ→http://bit.ly/phYRkH
・・・その3につづく予定