にぎわうアメ横の街・・私の好きなスポットの一つ。
ぶらっとアメ横によって、買いものをしてきました。
いろいろなものが安い。魚屋の前はいつも活きのいい売り声が響く。
「そこのおねえさん」
とか
「そこのお嬢さん」
など、思わずにんまりしちゃうような声のかけられ方で、ついなにかしら買ってしまう。
(ま、安いですしね。)
ところで、このあたりって昔からにぎやかだったの??
よく来る割に、私としたことが、昔の地図を見てなかった。
早速、「明治東京重ね地図」を見てみる。
江戸時代の地図
目をひくのは、上野広小路とかかれている道が随分と広いことである。
上野広小路は、現在の中央通りでアメ横通りではない。アメ横は中央通りの東側となる。
まぁアメ横周辺の昔ということで、上野広小路を「江戸明治東京重ね地図」やネット検索などで調べてみた。
「上野寛永寺(かんえいじ)の門前町として発展した地区。明暦(めいれき)の大火(1657)以後、現在の上野公園入口から
松坂屋に至る道路を広げて火除地(ひよけち)とし、広小路とよばれた。
当時から沿道に食料品店、料理店などが並び、日本橋とともに江戸の繁華街であった。」(一部略 引用:百科事典引用)
中央通りの松坂屋あたりから上が江戸時代の上野広小路、近くに銀座線の上野広小路と名のついた駅もある。
人文社の地図には上野広小路とあるが、成美堂の「江戸散歩東京散歩」には下谷広小路との異なった表記であった。
ネット検索で調べてると上野広小路は、かつて下谷広小路とも呼ばれていたらしい。
http://www.e-sampo.co.jp/column-senju1.htm
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E5%BE%92%E7%94%BA%E9%A7%85
上野広小路は浅草・両国と共に三大広小路のひとつであり、露店や見世物小屋の開店が許可され、
にぎやかな繁華街であったことがわかった。
江戸時代もだみ声のにぎやかな売り口上など響いてたのかな。
で、当時の言葉で
「そこのおねえさん」とか
「そこのお嬢さん」とか
ご婦人がたには、みのもんたよろしくの声かけだったのかもしれませんね。
ちなみに今日の買ったもの。このほかに、鮭かま、ホッケ干物♪
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水戸藩からの景観を検討した論文書いていますので、できましたら送ります。
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