“ 心が裸 ”になるって
「勇気」のいる事だと思います
何故なら・・・
「本音」が丸見えだから
「全裸」と同じくらい
“ 恥ずかしくて都合の悪い事 ”だからです
人は相手に対して“ 心の中で思っていても “
なかなか面と向かって「本音」では言えないものです
それは
相手に“ 不快な思い ”をさせたくない事と
相手に“ 悪く思われたくない ”という気持ちがあるからです
だから
「現実」の世界ではなかなか「言葉」に表せなくても
「小説」など紙の上では心が「丸裸」になる事ができます
小説の世界では
“ 極端な状況 ”を描くから「面白い」のであり
現実世界では「喧嘩」でもしない限り
なかなか本音で言い合う事が出来ません
その点、紙の上では
「羞恥」も
「嫉妬」も
「恐怖」も
「憎悪」も
読む人によっては
まるで自分の心が鏡のように映し出されて「究極」に描かれているから
読む人を「同化」させる事が出来るのだと思います
ところで
“ 事実は小説より奇なり ”といいます
それは
現実の方が
自分や相手の“ 対応次第でどのようにでも変化する ”ものだから
ずっと「複雑」で「刹那的」です
しかし
心の赴くままに
皆が「本音」で生きたなら
“ 世の中がメチャクチャ ”になります
だから
お互いを「配慮」しながら本音を隠し「建前」を上手く使い分けながら
暗黙のうちに“ 節度を持って生きている ”のかも知れません
でも
何かを越えようとする時は
“ 心にメス ”を入れないと前に進めない時があります
たとえば
「蟠り」を抱えた関係と心を分かち合う為には
相手の腸(はらわた)を切り開いて関係を「修復」する必要があるからです
だから
自分から心を開いて
“ お互いの心が裸 ”になれば相手の「弱点」や「痛み」も分かり
“ 同情する気持ち ”や“ 哀れむ気持ち ”にもなれるかも知れないし
さらに
「誤解」や「偏見」が
“ 解けるきっかけ ”にもなるからです
「荒療治」は・・・
“ 切羽詰まった時 ”の「自然治癒力」なのかも知れません
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