スマイル・デイズ ~いつも笑顔で~

自分のこと、家族のこと、そして仕事のことなど、日々の暮らしを綴っていきたいと思います。

千羽鶴に祈りをこめて…

2025-01-15 09:14:03 | 家族のこと

1月8日。

この日は奇しくも母の命日でした。

夫も私も仕事でした。

職場で利用者さんをお迎えしている時間帯でした。スマホが鳴り、夫の職場(私の前職)から。

私は夫が送迎をしていて事故ったのかとてっきり思いましたが…

送迎車から出ようとしたときに倒れたということ。

右半身が動かないのと、言葉が出ないということで、多分脳だろうということ。

救急車待ちということで、私も娘に連絡をし、すぐに職場に向かいました。

動かさないほうがいいだろうということで、パーテーションが置かれ、職員の方々が夫を支えてくれたり、毛布をかけてくれたり、倒れたときに擦り傷ができてしまい、止血をしてくれたりしていました。

 

救急車が到着したのはいいのですが、今度は病院が決まりません。6件目でやっと決まり、病院に向かいました。

意識はあるものの、右半身はやはり全く動かず、言葉も出ません。こちらからの呼びかけは理解しているようでした。

病院に着くと、すぐに検査。CTやMRIを撮り、待つことしばらく…

結果は『脳梗塞』とのこと。左半分が白くなっていて、そこから先の血管は全く見えていませんでした。血栓で詰まってしまっているようでした。

 

見ていただいた医師が、たまたま大学病院から派遣されていた非常勤の医師で(若そうでしたが、ちょっぴり偉そうな態度でした💦)

「ここでは治療ができないので、僕が所属している大学病院に手配をしてすぐ運べるようにしました。救急車もそのまま待機してあるので、それに乗っていってください」とのこと。

ここで多分その後が決まったのだろうと思いました。迅速な処置で本当に救われました。

 

私は夫と一緒に救急車に乗り、後から合流した息子と娘は後から追っかけで来てくれました。

到着するとすぐに血管をふさいでいる血栓を除去するカテーテル治療が始まりました。

もうここまできたら、まな板の上の鯉状態…お任せするしかありません。

 

終了し、医師より説明がありました。全部は取り切れなかったとのことで、

①寝たきりの可能性 ②麻痺が残る可能性 ③管が入っているので、そこからの感染症などで亡くなる可能性を告げられました。

 

ICUには3日間。4日目に一般病棟へ移りました。ということは、とりあえず生命の危機は脱したようです。

さらに昨日は最初に運ばれた病院への転院が決まりました。そして介護タクシーで(寝台車です)運ばれ、今に至ります。

 

今回一番のダメージは言語が出てこないということです。

色々言いたいことはあるようですが、最初の頃は「うーんとねぇ、うーんとねぇ」を繰り返していました。

でもそれも今では「おはよう」「あ、そう」「マスク」など、すこーしずつではありますが、発語しています。

麻痺については、腕や足が少しずつ上がるようになったことをアピールしてくれています。

 

発症から1週間、夫は今自分が置かれている状況を理解しつつあります。

発語については、言いたいことはいっぱいあるのでしょうけれど言葉として出てきません。こちらが話すことについては理解しているので、あとはどのようにコミュニケーションをとるか、私なりに色々考えてみようと思います。

転院して2週間から1ヵ月ぐらいの入院で、どの程度まで回復するかは本人の頑張りだと思います。

 

回復を祈り、私や息子、娘家族で今こうしてせっせせっせと折っています。出来上がる頃はどのぐらいできることが増えているかな…

 

はずされた結婚指輪💍 私が一緒にしています

 

というわけで、今年は新年早々の出来事でした。

なかなか皆様のところにもお伺いすることができません。ごめんなさい

 

 

 

 

最後まで読んでいただきありがとうございました

 

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