今の季節、高校野球の地方大会の真っ只中ですね。
勝っても負けても見せる球児の涙は本当に感動ものです
私には息子と娘、2人の子どもがいます。
息子は小学校1年生から地元のリトルリーグに入り、中学ではシニアリーグに入団しましたが、指導者とどうしても合わず退団。でも野球は大好きでした。たまたま中学の仲良くしていた友人が野球部ということで、その友人が顧問の先生に話をしてくれ、顧問も「ぜひ来い!」と歓迎してくれ野球部に入り直しました。今でもその顧問には足を向けて寝られないと言っているほど、感謝をしています。もしそこで断られたら、多分息子は横道にそれていたかもしれません。
そして高校は都内でも強豪校と言われる高校で、親元を離れ、野球漬けの毎日を送りました。3年間高校球児として頑張りました。球児の憧れである甲子園の土を踏むこともできました。
娘は兄を追う形で、小学校2年生からリトルリーグに入り、中学では兄と一緒に野球部で頑張りました。そして、当時はまだ全国に5校しかなかった女子硬式野球部がある高校に入学しました。高校では女子野球の世界大会の選抜メンバーに選ばれ、JAPANをしょってカナダまで行きました。
当時はまだ女子が野球をやることはまだまだ珍しい時代でした。最初は兄の練習や試合、合宿に一緒についていくという形でしたが、体格にも恵まれていた娘は、監督やコーチから「おまえも入れよ」とおだてられ、それが10年も続く野球生活の始まりでした。
中学では女子はたった一人。最初は他のメンバーも「女には負けない」といった雰囲気がありましたが、実力でレギュラーを勝ち取り、最後は同じ野球部の仲間として認めてくれるようになりました。
私たち夫婦も、土日祝日もなく、子どもたちの応援をしてきました。車出しをして、いろいろな試合会場にも行きました。高校では遠征もあり、他の親たちと色々なところに行きました。
高校1年と3年で、2人とも私立だったし、息子の寮費、野球用品、遠征費等々…さすがに金額がかさみ、正直やりくりは大変でした。それでも今から思うと、あの頃は親も青春していた気がします。子どもたちのおかげで、すごく楽しませてもらった11年間でした
以上、親の自慢話でした
最後まで読んでいただきありがとうございました
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