私は、ゆたぼん君のお父さんが嫌いです。
なぜなら、彼を不登校にさせているのは、あのお父さんだと感じるからです。
子供は親の喜ぶことを自分の喜びに変えて、一所懸命取り組みます。
彼を見ていて、自分のためではなく、お父さんのために不登校を選択しているように思えてならないのです。
私は学校は「行かないより行った方がいい」と思っています。
学校はお友達が沢山います。
コミニュケーションで1番難しいとされる「同級生同士」の関わり合いが贅沢に出来るからです。
実は、年齢が離れているほどコミニュケーションはとりやすくなります。
なので、自閉スペクトラム症の子達は「年上や年下」とのコミニュケーションはとれることが多いのです。
可愛がるのか、可愛がられるのか
面倒をみてもらうのか、世話をするのか
ハッキリしているので分かりやすいのです。
それに比べて、同級生には上下関係がなく、どう接して良いかのバランスが取りにくい…というのがあります。
なので、自閉スペクトラム症の子供達は、保健室や職員室を好み、上級生は、1年生の世話も出来るのです。
話を不登校に戻します。
ではなぜ以前「不登校上等!」というブログを書いたのか
それは
「不登校になった方がいい」子がいるからです。
①学校がストレスとなり、精神的に追い詰められている状態の時には、立ち直る余力が残っているうちに逃げる選択をした方がいい場合
②自閉スペクトラム症の孤立タイプで、お友達に興味がなく、一緒に遊ぶことに楽しみを全く見出すことが出来ない。
自分の興味関心に没頭するノーベル賞タイプの子供
③教室内に虐めがあり、豊かな人間関係が存在しない場合
これに当てはまる場合不登校を選択していいと思っています。
いやむしろ不登校の方が5年先、10年先を見た時に、社会生活を営む力が蓄えられると思います。
ゆたぼん君のあの笑顔と元気は、お友達同士のかかわり合いの中でしか得られない特別な「悔しさや喜び、悲しみや怒り…」などといった財産を放棄しているように思えてならない。
小学生の時期は、大人から教わる事よりも子供同士の情報量の方が遥かに心を育む価値があるそうだ。
さて
今日は暑いので学校を休みました次男です。
日曜日にはお友達を2人連れてくるそうだ。
学校は時々休むけれど「楽しい」そうで何よりです。
ごめんなさい笑ってしまいました💦
でもお母さんに好きなことを好きなだけ言葉を選ばずに言える環境は本当に素晴らしいと思います。
そして「行けない」のではなく「行かない」
まさにその通りです!!
私は仕事柄不登校の子供達を沢山見ていますが、ゆたぼん君のような子はほとんどいません。
勉強が嫌で行かないなら、殆どの子が不登校になりますね😂
不登校になる子は「感受性が強く」「勉強が出来る」子が多ように感じます。
きっと、賛否両論あるんでしょうね。
難しいです。お父さんのためになら、私も賛成は出来ないけれど。。
行けないんじゃなく、行かないのかな。
前回のブログのコメントの返信、ありがとうございました。女の子からモテる本?みたいのは、私からは難しいだろうな。キモいとか言われそう。
本当は、恋愛感情がない女の子のお友達が出来、その子からアドバイスを貰えるのが1番なんだけどなぁ。。