192の4の18『岡山の今昔』岡山人(19~20世紀、平沼淑郎と平沼騏一郎
平沼淑郎 (ひらぬまよしろう、1864~1938)は、法学者にして教育家だ。津山藩士、平沼普(ひらぬますすむ)の長男にして、津山の生まれ。その時の家禄としては、50石扶持という。1871年(明治5年)には、東京に出る。幕藩時代の藩主松平康倫(まつだいらやすみち)が、徳川家達(とくがわいえさと)の後見役となって東京に出ることになる。
すると、これを機会に、晋の一家は東京に移る。一家が落ち着いた浜町の藩邸内には、おりよくというか、宇田川興斎がいたことから、平沼家の淑郎とその弟の騏一郎(きいちろう)とは、彼の塾に入り、漢学を教えてもらう。そればかりか、これまた同郷出身の箕作秋坪(みつくりしゅうへい)が「洋行帰り」となって、当地において三叉学舎(さんさがくしゃ)を開くと、この二人は早速入門する、学んだのは英語、漢学、算数などであった。
平沼淑郎 (ひらぬまよしろう、1864~1938)は、法学者にして教育家だ。津山藩士、平沼普(ひらぬますすむ)の長男にして、津山の生まれ。その時の家禄としては、50石扶持という。1871年(明治5年)には、東京に出る。幕藩時代の藩主松平康倫(まつだいらやすみち)が、徳川家達(とくがわいえさと)の後見役となって東京に出ることになる。
すると、これを機会に、晋の一家は東京に移る。一家が落ち着いた浜町の藩邸内には、おりよくというか、宇田川興斎がいたことから、平沼家の淑郎とその弟の騏一郎(きいちろう)とは、彼の塾に入り、漢学を教えてもらう。そればかりか、これまた同郷出身の箕作秋坪(みつくりしゅうへい)が「洋行帰り」となって、当地において三叉学舎(さんさがくしゃ)を開くと、この二人は早速入門する、学んだのは英語、漢学、算数などであった。
こうした中の(明治17年)には、東京大学文学部政治学理財学科を卒業する。 西周(にしあまね)の塾にも学ぶ。同じ1884年(明治17年)には、丸山作楽の忠愛社に入り、「明治日報」記者となる。1886年(明治19年)教育界に転じ、二高教授、市立大阪高商校長などを務める。
1904年(明治37年)には、早稲田大学へ移る。1911年(明治44年)には、商学部教授、1918年(大正7年)には、同大維持員理事学長、1923年(大正12年)には、商学部長などを務める。1931年(昭和5年)には、社会経済史学会の創立に参画する。
学者としての人生には、本人も満足したのではなかろうか、著書には、「近世商業史」「近世寺院門前町の研究」がある。
学者としての人生には、本人も満足したのではなかろうか、著書には、「近世商業史」「近世寺院門前町の研究」がある。
それに絡めるに、幼少の頃を振り返っての「鶴峯漫談」には、こうある。いわく、「祖母は常に「偉い人になれよ」ということを口癖にいった。この祖母をして、かくの如く奨励激励の精神を抱かせたのは、藩中の風潮と先輩の偉績とが与って力あったと申してよかろうと思う。(中略)箕作氏や宇田川氏の感化で、大抵の人はエービーシーくらいは口しょうしていた。私もその数にもれなかった。」
次の、平沼騏一郎(ひらぬまきいちろう、1867~1952)は、政治家だ。津山藩士の平沼晋の子にして、兄は淑郎。1888年(明治22年)に、東京帝国大学法科大学を卒業する。大逆事件のとき検事を務める。
この事件ては、一審のみで多くの死刑を出す、郷土の森近運平も処刑される。彼も時の施政者側の歯車にて、情け容赦はなかったようだ。のち検事総長、それに大審院長を務める。そしての1923年(大正12年)の第2次山本権兵衛内閣の時には、法相を務める。同じ1923年(大正12年)に勃発の虎ノ門事件に衝撃をうけたという。
1924年(大正13年)からは、国家主義団体国本社(こくほんしゃ)の結成に加わる。その後の立身出世にも怠りなく、1925年(大正14年)には、枢密院副議長となる。そしては、政治家としても、頭角を現していく。台湾銀行の救済に動く。海軍軍縮問題では、政府を追及するのに加わる。
この頃、自分も軍国主義の流れに乗ろうということであろうか、1936年(昭和11年)になると、国本社会長を辞任して枢密院議長となる。1939年(昭和14年)には、第一次近衛内閣の総辞職に伴い、内閣総理大臣となり、組閣するも、独ソ不可侵条約の締結を機に総辞職する。その後も政界引退とはならなかったようで、第2・3次近衛文麿内閣の国務相を務める。
日本の敗戦では、戦犯とされ、そのことを経て、生涯を閉じるのであった。
その代表的な言葉に、「欧州の天地は複雑怪奇なる新情勢を生じた」(独ソ不可侵条約締結に際して)があるというのだが、さしもの秀才も、この頃には今がよく見えなくなってきていたのではなかろうか。
(続く)
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