おじさん山伏です

修験道の修行から見た心の散歩です。
アイヌのアシリ・レラさんからの命名です。
「キムン・マタギ」になりました。

極楽寺の忍性律僧は、鎌倉時代に亡くなった人たちをどこに埋葬したのか?

2018-05-16 | 日記

 忍性さんの本を読み、鎌倉時代はどうだったのかに興味がつきません。

前回は、谷戸を坂のぼり、隧道を抜けました。

図は極楽寺の地図です。(国土地理院から)

緑の部分は、山で太い赤線が、現在に江ノ電の線路です。

極楽寺から東に赤線で記載したところが、極楽寺の切通しです。

青線で北に延びている道は、前回報告した道です。

今回は、途中から西に向かった道です。

月影地蔵を曲がって山の階段を上ります。

5/3日で極楽寺の宝物殿は閉まっていました。

でも鎌倉時代の人たちが少しでも安らかな眠りにつけるように

本殿の前で般若心経一巻を唱えました。

唱えている間中、見たことも逢ったことも無い人のことを

思って唱えました。

宝物殿には、不動明王が祀られています。

真言を唱えます。

吉野の山やビジョウンクエストなどで3万回以上唱えています。

清水義久さんは、1万回唱えると神さまに通ずるそうです。

 

 

この上に向かいます。

丁度反対側の谷戸の奥です。

山も向こうは、長谷の観音さまです。

極楽寺で苦しんでいた人たちを、観音さまの背中に背負って

いるのではと思いました。

 

 

 

 

 

鎌倉はどんな山道でも良く整備されています。

山の上から江ノ島が見えました。

 

 

 

 

何で熊野権現さまが祀られているのだろうか?

 

 

 

この山の向こう側には忍性塔墓があります。

ようへきの水抜き穴からです。

 

ありがとうございました。

足が痛いので、心使いの椅子に助かります。

元気なときには、気づかなかったことです。

大げさなことですが生きているということを感じさせてくれます。

うれしいですね。

 

 

 

 

 

コメント
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