ナルニア国ものがたりについて書きます。
世間では映画公開にともなうブームに乗って、テレビやインターネットにナルニア情報が氾濫しています。
それによって、にわかナルニア読者が急増し、ブーム以前からのナルニア・ファンにとっては片腹痛い状況です。
と、いう僕も実は最近までその存在すら知りませんでした。本もコンビニで買ってしまいました。
以前、コメントでナルニアや翻訳者の瀬田貞二さんのことを教えられても、誰だろう、と思ってました。ははは。
しかし、今回読んだり、作者のC・Sルイスのことを調べてるうちに、昔みた映画「永遠の愛に生きて」(1993年公開)の主人公がC・Sルイスだと知って急に親近感がわきました。あれは格調高い映像とふかいテーマをもった印象に残る映画でした。
非常な恥ずかしがりであり、はにかみ屋であったルイスは64年の生涯をほぼ独身で通しました。
唯一の例外は1957年からの3年間ユダヤ系アメリカ人のヘレン・ジョイ・デヴィッドマン・グレシャム(長い!)との「普通でない」結婚生活でした。
ヘレンは自身も詩人であり、ルイスの愛読者でもありました。
このときルイスはすでに59歳で、ケンブリッジ大学教授の職にあり、ナルニア国物語全7巻を書き上げた直後で、しかもシリーズ最後の「さいごの戦い」がイギリスで最も権威ある児童文学賞、カーネギー賞を受賞して、いわゆる、「功成り名を遂げた」という状況でした。
しかし、ユダヤ人であり、共産主義者であり、離婚暦のある彼女との結婚は周囲からの非難を浴び、指輪物語の作者で、<インクリングス>の同志でもある、J・R・Rトールキンにも断交されました。
僕の乏しい知識では分りませんが、トールキンが彼女のどこが許せなかったのか気になります。
尤も、この結婚は当初はヘレンがイギリス国籍をとるために便宜上するつもりのものでした。
しかし、彼女が骨髄癌に侵されたことを契機に親交が深まり、結婚式も病院のベッドの上でおこなわれました。
そして短くても深く愛し合った3年間ののち、ヘレンは他界しました。
これが映画のもとになったエピソードです。
この画像の鳥は長浜の白壁スクェアにありました。あおさぎ?
世間では映画公開にともなうブームに乗って、テレビやインターネットにナルニア情報が氾濫しています。
それによって、にわかナルニア読者が急増し、ブーム以前からのナルニア・ファンにとっては片腹痛い状況です。
と、いう僕も実は最近までその存在すら知りませんでした。本もコンビニで買ってしまいました。
以前、コメントでナルニアや翻訳者の瀬田貞二さんのことを教えられても、誰だろう、と思ってました。ははは。
しかし、今回読んだり、作者のC・Sルイスのことを調べてるうちに、昔みた映画「永遠の愛に生きて」(1993年公開)の主人公がC・Sルイスだと知って急に親近感がわきました。あれは格調高い映像とふかいテーマをもった印象に残る映画でした。
非常な恥ずかしがりであり、はにかみ屋であったルイスは64年の生涯をほぼ独身で通しました。
唯一の例外は1957年からの3年間ユダヤ系アメリカ人のヘレン・ジョイ・デヴィッドマン・グレシャム(長い!)との「普通でない」結婚生活でした。
ヘレンは自身も詩人であり、ルイスの愛読者でもありました。
このときルイスはすでに59歳で、ケンブリッジ大学教授の職にあり、ナルニア国物語全7巻を書き上げた直後で、しかもシリーズ最後の「さいごの戦い」がイギリスで最も権威ある児童文学賞、カーネギー賞を受賞して、いわゆる、「功成り名を遂げた」という状況でした。
しかし、ユダヤ人であり、共産主義者であり、離婚暦のある彼女との結婚は周囲からの非難を浴び、指輪物語の作者で、<インクリングス>の同志でもある、J・R・Rトールキンにも断交されました。
僕の乏しい知識では分りませんが、トールキンが彼女のどこが許せなかったのか気になります。
尤も、この結婚は当初はヘレンがイギリス国籍をとるために便宜上するつもりのものでした。
しかし、彼女が骨髄癌に侵されたことを契機に親交が深まり、結婚式も病院のベッドの上でおこなわれました。
そして短くても深く愛し合った3年間ののち、ヘレンは他界しました。
これが映画のもとになったエピソードです。
この画像の鳥は長浜の白壁スクェアにありました。あおさぎ?
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