丸亀城の一番のウリ”・・・60メートルの石垣、さきの「西日本豪雨」の被害跡です、
「最初は下の方だけだったが、数日後に、上まで崩落”
ここの壁だけは、江戸期に増築されたもので、岩盤地層で無く、砂礫層」とのことです、このあとのライブ時に、地元の笑覧者から詳しく説明がありました。
クレーン下の地面には大量の石が、目印が付いているのでしょう、並べてありました。
大手門外・・・戦争前には、この辺り「武家屋敷」が・・・
(これも笑覧者の説明)
大手門 内側です。しばらく放置ライブを・・・
ここから急坂60メートル・・・
天守への道、ここで長男夫婦と待ち合わせ休憩、
作品を地べたに、並べて置いていると、次々と、熱心な笑覧者あり、
最初の説明頂いた方もここで・・・
日傘の婦人、「孫が戦国ものが好きで・・・見せてやりたかった」
「せめて、写真でも・・・」「エッ”真田もあるんですか”」
「真田の赤備えが大好きで・・・」
20枚以上撮影されていたので、「これは一部で、まだ続きがあるんですよ」
と、名刺を渡し、「お孫さんに是非・・・」とブログを案内しました、
こん回の旅、一番長い時間と熱心な笑覧”有難うございました。
天守の前、
ここに、こんなふうに展示、このまま、ほったらかしで、見物に・・・
瀬戸の海、快晴
天守からの眺望・・・
降りてくると、たくさん笑覧、スマホの被写体になっていました。
ここでも、この展示は、「お城の気の利いたサービス”」と、思われた人がほとんどで、今日は作者、名乗らず、離れた距離で、
「町おこし成功”」・・・と、満足顔””
「こんぴらさんに向かいます」と地元の人に・・・
その人のウンチク「こんぴら詣での始まりは、ここの城主が、江戸屋敷なかの分社を、月いちで庶民に開放し、ご利益が評判に、そして、講”が出来、「お伊勢参り」に並び、「こんぴら詣で」が・・・
ありがとうございました、知識としてブログで紹介します。
このあと昼食・・骨付き鶏「一鶴」・・・調理師の私評価は・・・?