拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

ボーっと歌ってんじゃないよっ(byチコちゃん)

2018-06-01 11:25:01 | 音楽

はずれた。スズメとまさと君、まさかの未遂。キスが。いっきに恋ばなだらけになった「半分、青い」であるが、私としては「ナカノガタ」(中野さんと野方さん)の「中年の恋」に注目である。例の中庭の植木はやはり恐竜を模したものであった。その点は当たった。「ゴジラのモデルのティラノサウルスにしたかったんだけど」(それだったら、もろ、映画「シザーハンズ」と同じである)、あえて「プテラノドン」(翼竜)をモデルにしたのだと。プテラノドンはゴジラの敵であり、後に盟友となったラドンのモデルである。さて本題。ミサ・ソレムニスのヴォーカル・スコアを引っ張り出してみたら、なにやら見慣れぬ表紙である(写真右側)……と思ったら、これは中表紙であって、ホントの表紙はおなじみのペータースのもので(写真左側)、本体からはずれていた。かようにぼろぼろの楽譜をいつ買ったかというと、約40年前(最近、やたらと40年前のものが出てくる)。当時、まだ吹奏楽部員だったが、この曲が大好きで、ブラバンの仲間を誘って歌おうと思って買ったのだが、たしかみんなにふられて歌は実現しなかった。それでも、こんなにぼろぼろになるまで読んでたんだなぁ。相当、好きだったんなぁ。で、前に書いたが、この頃のこの曲の愛聴盤はベーム&ウィーン・フィル。たしか、私が高校生(吹奏楽部員)だった頃、新録音のレコードが発売されて、で、土曜日の午後のFMでかかって、ブラバンの練習前に視聴覚室で聴いて、冒頭の3回のキリエの間の「間」(ま)にえらく感動して、すぐさま買い求めたのだった。合唱は、ウィーン国立歌劇場の合唱団。これがまた強力で。グローリアの最後の方の「in gloria dei patris amen」のところ、もう地鳴りのような声で「いーーーーん、ぐろっおっおっおっおっおっりっあ」とりきみまくってる。私は合唱というのはこういうものだと思って、で、大学で入った合唱団がよりによって(笑)古楽専門の室内合唱団。決して吠えちゃいかない、メリスマはレガートで歌うべし、と教わり、最初は、コペルニクス的転回であったが、はっと気がつくと4年間ですっかり牙を抜かれ、洗脳された私が久々にかつての愛聴盤を聴いてみると、びっくるするほど「野蛮」である。と思ったということは、洗脳が完成した証しであるのだが、このほど、ミサソレのクラリネットの移調譜を作るにあたって久しぶりに楽譜を見てみると、おおっ!件の部分、「Allegro ma non troppo e ben『marcato(はっきりと)』」とある。しかも、ご丁寧に「ぐろおおおおおりあ」の一個一個にアクセントが付いている。すると、野蛮だと思ったウィーン国立歌劇場の合唱団は楽譜の指示通り歌ったのであって、ここをレガートで歌う合唱団(存在する)こそが、チコちゃんに「ボーっと歌ってんじゃないよっ」と怒られるべきであったのだ。いや、チコちゃんはベートーヴェンの化身である。なお、チコちゃんの意味が分からなかった方は「チコちゃん ボーっ」でぐぐって下さればお分かりになりますです、はい。