拝島正子のブログ

をとこもすなるぶろぐといふものを、をんなもしてみむとてするなり

夕顔、カルメン、マノン

2024-09-23 16:58:40 | 音楽

不忍池の夜景。

はて……これは寅子の得意台詞だが今日はヨネが使っていた……ではなく、さて、瀬戸内寂聴さんは、源氏物語の中で好きな女性はと聴かれた男性読者は異口同音に「夕顔」と答える、可憐で大人しくて男のいいなりになる女性こそが男にとって好ましい女性像であるようだ、と解説で書かれている。大先生に楯突いて甚だ僭越であるが、大先生の仰ることは必ずしも現代の男にはあてはまらない、と私は思う。「ほら、行くよっ」と言ってとっとと歩き出す女性(まるで出陣する信長のよう)の三歩後ろを下がってついていきたい男が大量に増殖しているのが原状だと思う。因みに、私は、命令するのもされるのも嫌いです。その点、横野君も同じ。え?じゃあ、横野君と一緒になったらって?冗談じゃない。あんな退屈な男と始終一緒にいたら気が滅入るわ。

因みに、瀬戸内と言ったら晴美さんだったのにいつの間にか寂聴さんになっている。同様に、由実と言ったら荒井さんだったのに、いつの間にか松任谷さんになっている、というのが私の認識である。

その瀬戸内寂聴さんは、光源氏の性格について「困難な恋にしか情熱が湧かない因果な性格」であると評している。それで思い出すのはオペラ「カルメン」のドン・ホセ。親が勧めるようにミカエラと結婚すればどんなに平穏だったろうと思うけど、多情なカルメンをひたすら追っかけ回し、カルメンに振られると、これを刺し殺してお縄につくことになる。

カルメンの話を出したのは、今、横野君とこのレーザーディスク・オペラ劇場がフランスものに入っていて、ついこの間、カルメンを見せてもらったから。そして、直近で見せてもらったのはマスネの「マノン」。プッチーニの「マノン・レスコー」と同じで原作はアベ・プレヴォーの小説。「チャラララ、ラー」ってイントロがマスネとプッチーニでそっくり。第1幕でデグリューに「名前は?」と聴かれて答えるところも同じなんだけど、マスネの方は「マノン」とだけ言うのに対し、プッチーニのは「マノン・レスコー」と名字まで言っていて、タイトルの違いと同じなのが面白かった。だけど、その後はだいぶ違う。マノンが官憲にとっ捕まる理由は、マスネの方はイカサマ賭博の容疑であるのに対し、プッチーニの方はいまいちよく分からない(私は姦通罪みたいなもの?と思っている)。逆に、マノンの死因については、プッチーニの方はアメリカの荒野で彷徨ってるうちに熱射病が栄養失調で倒れたんだなと想像がつくけど、マスネの方でマノンがフランスの波止場で息絶えちゃう理由は不明。まあね、ロマン派の作品は「気持ち」だけで死んじゃうことが多いからね。こうなったら一度原作を読んでみよう、源氏物語を中断してでも、と思っている私である。



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