新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

出さなかった投稿はがき

2010-12-14 12:27:00 | 沖雅也
沖さんが亡くなって27年にもなり、自分の中ではそれを受け止めきったつもりで毎日を過ごしているのだが、ひょっとしたきっかけで足元をすくわれる。
実際には誰かが足をすくうのではなく、自分の足元に何もなかったことに気がつくだけなのだが、この足元、地球の重力とは関係なく、自分が気がついた時に落ちるシステムなのだから始末が悪い。


沖さんを応援するようになってからというもの、新聞の番組感想投稿欄は欠かさず読むようにしているのだが、今日はそこでわが足元を見てしまった。

体調不良で休養していたお笑い芸人さんが復帰したのを喜ぶ投稿だった。
無期限休養と言われていたのに意外と早い復帰に、私もまったく関係ないながら、よかったよかったと胸をなでおろしていたのだが、この投稿を同じような文章をはがきに書いた自分を思い出して、ふっとタイムマシーンに乗り込んでしまった。


自宅で昏倒して救急車で運び込まれたというニュースが入ってもそれ以上知ることは不可能。
自分より大切にしている人が他人であることを思い知らされる瞬間だが、それには慣れていた。

沖さんが回復して病院のベッドでレポーターのインタビューを受けている映像を見て、私は驚いた。
顔のむくみもとれて以前と同じ明るい表情の沖さんが、自分が倒れた時のことを明るい口調で話しているのにも驚いたが、とにかく元気な姿を見せようとベッドからインタビューに答えてくれている沖さんに、心配しているファンへの気持ちを見せてもらったような気がして、涙があふれてきた。


私は子供の頃病弱だったわりには活発で、元気な時にはそれを謳歌しようとしたのか、よく親から「糸の切れた凧のよう」と言われた。
暗くなるまで遊びほうけて家に戻ると、誘拐でもされたのではないかとあちこちに電話をしていた母からいきなりお尻ペンペンだった。
人は心配事が解消すると怒りに変わる。


テレビの画面に向かって「よかった…」と涙ぐんだのも束の間、「なんなのよ、人を心配ばかりさせて!」という怒りが湧いてきた。
それでも、懸命に元気をアピールする沖さんの表情をみながら、元気になってくれたことを神に感謝した。
新聞に投稿をしようとしたが、それがまたプレッシャーになるといけないと思ったのか、それとも文章力のなさに中途で放り投げたかは記憶にない。
はがきを破いて捨てて、母に「これは新しいはがきと交換できるのに」と怒られたことだけ、なぜかはっきりと覚えている。