新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

感情移入なのだ

2012-05-02 11:57:00 | 沖雅也
我が家は休みの日に家族で出かけた記憶がない。
両親が帰省することもなく、
家族旅行などというものとも無縁だったので、
夏休みやお正月休みの後に教室で交わされる
未知の土地の話をただただ聞く羽目になった。
それはそれで苦痛だったという記憶はないのだが、
夏休みに毎日学校のプールへ一緒に通った友達が
お盆で帰省してしまうとプールもお休みになり、
その時ばかりは早くお盆休みなんて
終わってしまえば良いと思った。

大阪万博の時は日本中がお祭り騒ぎで、
何が観たかったというわけではないのだが、
とにかくそこは
夢の世界が広がっている場所なのだと思わせられて、
行きたくてたまらなかった。
学習雑誌の付録には
いなかっぺ大将の大ちゃんが案内する万博の地図があり、
それを眺めては夢を膨らませた。
その時は我が家ではすでに家庭崩壊が始まっていて
万博どころではなかったのだが、
同級生のおみやげ話に耳を傾けながら
おいてけぼりにされたような寂しさを感じたものだ。

そんな環境だったからこそ、
沖雅也という人に強く惹かれたのかも知れない。

父も母も家を出て、
中学生なのに親のない暮らしを経験した沖さん。
今だったらネグレクトとして
警察に通報されてもおかしくないような環境の中で、
よくない暮らしをしていたらしい。
荒れた生活の中でも、同級生の母親に
「大人は汚い」と泣いたという沖さんに
当時の私は共感を超えた感情移入をしていた。

1995年6月16日にテレビ朝日系列で放送された
「驚きももの木20世紀」という番組。
沖さんの生い立ちと死の真相に迫るという内容だったが、
病気のことがやや曲解して「死の美学」を強調したり、
亡くなる直前に家を出る前に
日○さんと同じベッドで寝ていたような演出に
わざとらしさを感じるので滅多に観ることもないし、
同じファンには薦めないのだが、
最後に出た提供のテロップの後ろの映像だけは
ぐっと胸に迫ってしまった。
家出した城児くんらしき少年が公園のブランコに座り、
楽しそうな母子連れをじっと眺めている映像だった。
再現ドラマのボツ映像だったのかも知れないが、
知り合いもいない大都会にぽっと出て来てしまった15歳の少年が
年をごまかしながら大人の世界に飲み込まれて行く中で、
こんな風に過ごした時間もあったような気がした。

公園のブランコで一人ぼんやりするのは、
子供の私の定番だった。
沖さんが亡くなった後は、
お墓参りの後、夜の六本木の公園でよくブランコに座っては
ぼんやりしていた。
通り過ぎる人々は、一瞥をくれるだけで通り過ぎる街。
沖さんが書いた詩「SHIKABANE」のように
『もう怪しまないでください』とつぶやきながら。

沖さんに暖かい家族がいたら。
芸能人の結婚のニュースを見るたびに
もし沖さんがご存命で結婚したら
辛かっただろうなあとおもいつつも
優しい笑顔で我が子をみつめる沖さんにも会ってみたかったと
しみじみ思ったりもするのだった。