ソチ・オリンピックの男子フィギュアスケートで流れた「パリの散歩道」。
曲が流れて来た瞬間、華麗に滑る選手もメダルの行方も頭から消え、
心が1983年に戻ってしまった。
ステレオを置いていた部屋や、
当時使っていた大きなヘッドフォンの形やその香りまでが蘇る。
私が聴いていたのは、その年郷○ろみさんが出したシングル
「シャトレ・アモーナ・ホテル」のB面で
「愛しき他人 ~パリの散歩道」。
その歌詞は去ってしまった沖さんがパリの街を一人歩く後ろ姿を想像させた。
だが実際は、沖さんは一人旅でパリを訪れたことはない。
日景さんの他、お母様や妹さん、マネージャー、事務所の人間などが常に同行していて、
写真も一人物思いに耽る姿というよりは、帰国した後で公開するためのものに見える。
亡くなられた後で出た写真集でも、最後の1ページは
日景さんと並んで歩く後ろ姿だったのはファンにとってはとても寂しいものだった。
ファンは日景さんを応援したつもりはない(笑)。
もちろん、沖雅也という俳優は日景忠男の助力なしには世に出なかった存在ではあるが、
写真集の最後のページに並んだ姿というのは個人の主張が見えて、
最愛の人を見送る気持ちでページをめくった後には寂しく感じられた。
毎年年末年始にパリに行くようになった沖さんだが、
日景さんによれば「他に行くところがなかったから」だった。
実家も田舎も訪れることが出来ない沖さんにとっては、
都会のガラガラになる年末年始が耐え難かったのかも知れない。
寂しがりやさんだったのだね。
♪ありがとう 忘れない 哀しい夢を
夜明けに目覚めたら 僕はもういないだろう
すべてはパリのミラージュ…
曲が流れて来た瞬間、華麗に滑る選手もメダルの行方も頭から消え、
心が1983年に戻ってしまった。
ステレオを置いていた部屋や、
当時使っていた大きなヘッドフォンの形やその香りまでが蘇る。
私が聴いていたのは、その年郷○ろみさんが出したシングル
「シャトレ・アモーナ・ホテル」のB面で
「愛しき他人 ~パリの散歩道」。
その歌詞は去ってしまった沖さんがパリの街を一人歩く後ろ姿を想像させた。
だが実際は、沖さんは一人旅でパリを訪れたことはない。
日景さんの他、お母様や妹さん、マネージャー、事務所の人間などが常に同行していて、
写真も一人物思いに耽る姿というよりは、帰国した後で公開するためのものに見える。
亡くなられた後で出た写真集でも、最後の1ページは
日景さんと並んで歩く後ろ姿だったのはファンにとってはとても寂しいものだった。
ファンは日景さんを応援したつもりはない(笑)。
もちろん、沖雅也という俳優は日景忠男の助力なしには世に出なかった存在ではあるが、
写真集の最後のページに並んだ姿というのは個人の主張が見えて、
最愛の人を見送る気持ちでページをめくった後には寂しく感じられた。
毎年年末年始にパリに行くようになった沖さんだが、
日景さんによれば「他に行くところがなかったから」だった。
実家も田舎も訪れることが出来ない沖さんにとっては、
都会のガラガラになる年末年始が耐え難かったのかも知れない。
寂しがりやさんだったのだね。
♪ありがとう 忘れない 哀しい夢を
夜明けに目覚めたら 僕はもういないだろう
すべてはパリのミラージュ…