新・日常も沖雅也よ永遠に

お引越ししました。

悪い女に癒される

2016-02-15 11:32:00 | 沖雅也
「いねむり先生」というドラマを、思うところあって久々に引っ張り出して観た。
原作は伊集院静氏で、妻を亡くした後に苦しむ男が、いねむり先生こと作家の色川武大氏に救われるまでの自伝的小説。
たびたび幻覚に襲われ、闘病中や亡くなる前後の妻のことを思い出しては苦しむ姿は、正に当時の私だった。
私の場合は、らせん階段を上ろうとするのに足がなかなか上に上がらず、手すりにつかまってようやく上っていると、いきなり足をつかまれ引きずり下ろされ、ぐるぐるとらせん階段を落ちる幻覚だった。それはもちろん、あのホテルを見上げた時に見える非常階段と、沖さんのアルバム「IN DOOR」のラストの階段を降りる足音から来ているのだろうと自覚はしていたが、それでも夢に現に、その幻覚は現れた。
「いねむり先生」では、西田敏行さん演じる先生が幻覚のことに言及し、なぜ苦しむ悲しい姿ばかり思い出すのだ、それでは本人が喜ばない、7年も付き合ったのなら、その間にあった楽しいことを思い出してあげるべきではないのかと藤原竜也さん演じる主人公を諭す。そして正にその幻覚の中で暴れている時に、「大丈夫だ!」と手を伸ばして引き上げる先生の姿は、私にとっては「ふりむくな鶴吉」の最後の撮影を終えて涙を流す沖さんの手をつかみ、肩を抱いた西田敏行さんの姿だった。

沖さんを亡くして彷徨う私を、周囲はどう扱って良いのかわからなかったのだろう。腫れ物に触るようにしていたし、私も苦しみをぶつける相手もみつからないままでいた。
時が解決するというが、確かに幻覚はなくなった。苦しみはあるが、楽しかったことを思い出すことの方が多くなったし、素晴らしい作品が次々再放送される中で、沖さんの笑顔に再会出来た。
そして近年では、沖さんと一緒に仕事をされた方々にお話を伺う機会もあり、生の沖さんを感じることも出来るようになった。
お話を聞いて私の中に浮かび上がる沖さんは、なぜかいつも気弱な一人の青年だった。

先週、そんな風に沖さんを思い出させて下さったお一人、長谷直美さんの舞台「悪い女はよく眠る」を拝見した。
早い展開の中で大きな瞳をくるくると動かして躍動する直美さんは、沖さんと共演した頃のままの憎めないキャラクターなのだが、ある目的から入り込んだ家庭で、末娘に母親が目の前で事故に遭って死んだと告白されてしまう。騙そうとたくらんでいるのに図らずも娘を抱きしめてしまうシーンでは、『ああ、長谷直美さんも母親になったのだ』と時の流れをしみじみと感じる温かい抱擁。沖さんと共演していた頃の直美さんは常に男性たちの妹分的な位置づけで、マミー刑事ですら私にとっては母親というより他の刑事たちの後ろにつく妹分としての印象の方が強かったのだが、この時高校生の娘を抱きしめたシーンでは見事に母性が溢れ出ていたので、内容よりもそのことに感動して涙が出てしまった。

沖さんを失った私は、こうして沖さんゆかりの方々のご活躍を拝見することで手を差し伸べてもらっている。
今も頑張ってますよ。沖さんもいい作品がいっぱいあるじゃないの。あの人頑張ってたよ。楽しいことだって沢山あったじゃないの。
それを教えられるのだ。

沖さんと同じ時代を駆け抜けた方々のご活躍は、いつも私を励ましてくれる。
長谷直美さん、よくぞ日本へ戻り女優に復帰して下さいました。