
映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
生きることは滅びゆくこと…途中、号泣しました。
舞台は冷戦真っただ中だった60年代のアメリカ、ワシントン州。
チェコスロバキアからの移民であるセルマは、町工場の劣悪な環境のもとで働きながらも、周囲の温かい人々に恵まれ、好きなミュージカル芝居の舞台に立つことを夢見ながら懸命に生きていました。
しかし、彼女の目は、遺伝の病気が原因で、その視力は失われつつありました。そして、最愛の一人息子のジーンの視力も、やがては失われてしまうことを彼女は知っていました。彼女にとって「明日」は明るい光と希望ではなく、闇と絶望に他ならなかったでしょう…そんな彼女が大好きだったのはフレッド・アステアなどに代表されるアメリカのミュージカルでした。
あくまでも楽天的で、明るい希望に満ちたアメリカのミュージカルを、彼女は心から愛したわけです。冒頭はTHE SOUND OF MUSICのMy Favorite Thingsで始まります。彼女はMaria役で舞台に立つことを夢見ていますが、悪化する視力が舞台けいこにも影を落としていきます。
ただ、この映画自体には、いかにもアメリカ~ンなミュージカルな要素が殆どないというのが…まぁ作り手の意図なのでしょうが…面白いですね。まず、セルマ役のビョークの声は、ちょっと紗がかかっていているようで、ミュージカルっぽくない。映画の中で歌われる曲も、どちらかと言えばヨーロッパ的。
セルマは、息子の目の手術を受けさせるために、必死になってお金を貯めていました。自分の資質を受け継いだ息子には病気のことは隠し通しました。彼女が最も恐れたのは、息子が自分の病気のことを知って絶望してしまうことでした。
大家夫妻の好意でトレーラーハウスに住まわせてもらっていましたが、この大家夫妻はアメリカ人の典型。失われてゆく視力と向き合いながら、淡々と生きるセルマとは対照的に、大家の妻のリンダは少しばかりの遺産で潤って以来、物欲の塊と化しています。見たい・聞きたい・欲しい…ありとあらゆる欲望のシンボルとして描かれているよう。こういう小市民の行く末も、これはこれで哀れなものです。
金が底をついて金策に困る夫のビルが「もう死にたい」とセルマに漏らしたのを、彼女は(必要以上に)「哀れ」に思ってしまったのでしょうか…
中盤以降は、「もう失うものは何もない」人間の揺るぎなさに(こういうことは軽々しく口にすべきではないのですが…しかし、他の表現が見当たらない)圧倒されてしまいました。生きることは紛れもなく滅びに向かうことなのです。滅びに向き合える人間は悲しいまでに美しく、強い。
ストリーから離れた話になりますが…
この映画、まず「画面が見にくい!」と感じました。調べてみると、これは手持ちカメラで撮影しているのだそうですね。確かに、ドキュメンタリーのような臨場感は伝わってきましたが、ちょっと慣れるまで大変でした。
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