
※映画「フィラデルフィア」の内容が書かれています。
PHILADELPHIA Ⅰの続き…
ジョーはアンディの「仲間たち」が集まる仮装パーティに妻と参加する。
もともとホモフォフォビアックな彼にとっては相当の覚悟が必要だったに違いない。「彼ら」独特の世界観、美意識、表現手法にふれて、いささか「毒気に当てられた」感がある。
後日、アンディと応答の打ち合わせをするときも、どこか「目が泳いで」いる。
ここから、トム・ハンクスの名演が見られる…
死を覚悟した彼は、ジョーにMaria Callasが歌うアリア‘La Mama Morta’を聴かせ、それにあわせて何かにとりつかれたようにモノローグをする。
死が間近に迫りながらも、神の国に迎え入れられないであろう者の心の底からの叫びだった。
彼女の声にある胸の痛みが聴こえるか?…
希望に溢れた音楽…
愛が私に訪れたのは、悲しみの只中にいたとき…
静かに生きよ。私が命だ。
私こそが天から地上に楽園を作るために遣わされた神なのだ。
私こそが赦しであり、栄光であり、愛なのだ。
魂を抜かれたようになったジョーはそそくさと家に戻り、妻と娘を愛しそうに抱きしめるのだった。
(ここの解釈を書こうとすると、またまた長くなるので省略…笑)
※ ※ ※ ※
過去に、AIDSの症状である「しみ」の症状が出ながらも、アンディと異なり、解雇されなかった女性、メリッサが証人として法廷に立つ。
グリーン「トレスさん、あなたはどのようにAIDSウィルスに感染したのですか?」
メリッサ「輸血です。第二子を出産した時、大変な出血をしたのです。」
グリーン「と言うことは、あなたの場合は、たまたまAIDSの悲劇を蒙った無実の被害者なのですね。」
メリッサ
「私はこの病気を持つ他の人たちと何の違いもありません。私は罪深くもなければ、無実の人間でもありません。
私はただ生きたいだけなのです。」
私は、今までに見てきた映画の中で
これほどまでに力強く、人としての誇りに溢れたlineを聞いたことがありません。
※ ※ ※ ※
ジョー「もしよろしければ、ベケット氏にシャツを脱いで(体のしみを見せてもらい)陪審の方々に今私達が議論している問題を正しく理解してもらうようにしたいのですが。」
ベリンダ「異議あり、裁判長。それは陪審に不公平な影響を与えてしまいます。」
ジョー「裁判長、もしベケット氏が車椅子を使わねばならないような病気であったなら、被告側は法廷で車椅子に乗るなと言うのでしょうか?私達はAIDSとその症状である「しみ」について話しているのです。私達が議論している問題を直視しましょう。」
アンディは痛々しいしみのある上半身を見せ、その後、法廷で力尽きるのだった。
この映画は、全体としてみると、アンディの親族があまりに寛大で理解のある態度が、親族としての愛情…としてみても、やはり多少「出来すぎ」な感じがする。
しかし、それを差し引いても、力強いメッセージを持った良い映画だと思う。
マリア・カラスのアリアだけでなく、ブルース・スプリングスティーンのテーマ曲も映画の雰囲気と合っているし、私好み。ニール・ヤングの曲は…「ノーコメント」の方向で(笑)
I’m Just Trying To Survive(私は、ただ生きたいだけなのです。)
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