見出し画像

And This Is Not Elf Land

MR. SMITH GOES TO WASHINGTON



映画『スミス都へ行く』
1939年のアメリカ映画。必見、これは名作!


アメリカの某州の上院議員に欠員ができ、そこの「穴埋め」として指名されたのは、ボランティア活動や児童育成活動に熱心なナイーブな理想家のスミスでした。この州では、汚職まみれのダム建設プレジェクトが進行中で、この法案を通すために、裏を見抜けない、世慣れていない「穴埋め」が必要だったのです。

そんなことも知らず「都」へやってきたスミスは、議事堂のドームに感動し、リンカーン記念堂に心を奪われ、「アメリカ建国の理想」への思いも新たにするのでした。「リンカーンと目が合った。彼は僕が来るのを待っていた」と目を輝かせて秘書のサンダースに語るシーンは、可笑しいシーンではありますが、なぜか、サンダースと同様、心を動かされますね。

話は逸れますが、知り合いの小学生が、先ごろ家族で親戚の住むワシントンへ行ったと話していまして、私が「リンカーン記念堂へ行った?」と尋ねると、「行ってない。だって、時間がなかったし、お母さんが買い物したいと言ったから」なんて言うではありませんか!私は「なんて親だ!」と思いましたね。いや、自分がNYへ行っても国連ビルをなかなか訪れなかった…って話は棚に上げときます(?)…っていうか、私だって、もし子どもと一緒であれば、まず国連ビルへ連れて行きますとも。「教科書に出てくるリンカーン記念堂の文言ぐらい見せておきなさいよ!それよりもショッピングを優先するなんて…あそこの親、世間では『教育熱心な親』のように見られているけど、その程度の人たちなの!?」なんて一人で憤慨していたのでした。私も、ちょっと「スミス」が入っているんでしょうか(笑)

しかし、スミスは、州選出のもうひとりのペイン議員に言わせると「世慣れていないが愚かではない」男であり、ダム建設を巡る陰謀と、政治を世論を自在に操る一人の黒幕、テイラーの存在を知ることになります。一人で彼の不正を暴こうとしたスミスは、逆に巧みな裏工作による濡れ衣を着せられてしまいます。

純粋な理想家のスミスも魑魅魍魎が徘徊する都では全く無力であり、彼に残された道はfilibuster(議事妨害)だけ。彼は、着席せずに24時間近く喋りつづけることになります。ここは映画史に残る名シーンです。

軽妙な政治風刺テイストな映画でもあるので、最後はサンダースがテイラーの不正を暴く「動かぬ証拠」をつき出して「大逆転の大団円」を迎えるのかと思ったら、エンディングは現実的。スミス一人の力では、政治に巣食う巨悪を倒すことは不可能でした…しかし、良心の呵責に耐えらなくなったペインが全てを告白するという展開になります。着席シーンしか映らない議長の表情もいいです。

テイラーのような人物は、南北戦争後の拝金主義が蔓延った時代に出現したモンスターの一人なんでしょうか。「共犯」であるペインに「いつから貴様は理想を語る人間になったんだ」と嘲笑うシーン、スミスに「政治なんて、私一人の力でどうにもなる。どうせ、多くの有権者は投票にも行かないんだ!」嘯くシーンなどに至っては、今見ても(いや、今見るからこそ)背筋が凍りつきます。

スミスは愚直なまでにアメリカの理想を体現している人物として描かれていますが、その理想とはキリスト教の精神に基づく勤勉と隣人愛、民主主義の精神…そして、それを後押しするのは目の前に広がる広大なアメリカ大陸の自然。それが、困難にくじけそうになっても、「ここに理想の国を築くのだ!」という先人の夢を思い起こさせ、気持ちを高揚させてくれるのでした。映画の中では、スミスの口から故郷の美しい自然が感動的な言葉で語られます。それを聞いた秘書のサンダースは、政治の裏を知り尽くして疲れ果てていた彼女だったのですが、スミスの力になろうと決意するのでした。ベタではあるけれど、重要なシーン。

「目指す理想が明確に存在する」という社会は、勿論それは「両面」から見る必要はあるだろうけれど…それでも今日の日本の私たちが見ると、ちょっと羨ましくて、切ないですね。
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「Movies」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
2021年
2020年
人気記事