奈佐日本介(なさにほんのすけ)
〔現代仮名遣い〕なさにほんのすけ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
因幡守護山名豊国の家人。
1569年6月尼子再興をはかった尼子勝久・山中
幸盛に応じて隠岐に渡島し、さらに出雲忠山に
上陸した。
1570年10月尼子の船手大将として満願寺城を
攻める。
1573年西方から山陰に進出した吉川元春に降伏。
1581年10月鳥取城の吉川経家・森下道与・奈佐
日本介の三人が切腹の上頚を進上するこ
とで降参開城。
戦国人名事典では鳥取城陥落の際、海賊行為の故
に近隣の丸山城で自刃を命ぜられ、10月佐々木三
郎右衛門らと自刃したことになっている。
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〔現代仮名遣い〕なさにほんのすけ
※下線部は信長公記以外の記事によります。
因幡守護山名豊国の家人。
1569年6月尼子再興をはかった尼子勝久・山中
幸盛に応じて隠岐に渡島し、さらに出雲忠山に
上陸した。
1570年10月尼子の船手大将として満願寺城を
攻める。
1573年西方から山陰に進出した吉川元春に降伏。
1581年10月鳥取城の吉川経家・森下道与・奈佐
日本介の三人が切腹の上頚を進上するこ
とで降参開城。
戦国人名事典では鳥取城陥落の際、海賊行為の故
に近隣の丸山城で自刃を命ぜられ、10月佐々木三
郎右衛門らと自刃したことになっている。
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