『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

石場寺栄螺坊(いしばじさざいばう)

2015-11-30 17:17:09 | 信長公記の蔵:人物篇
石場寺栄螺坊(いしばじさざいばう)

〔現代かなづかい〕いしばじさざえぼう


近江石場寺の僧。

1580年3月無辺という売僧(まいす)を自分の

    所に泊めていて信長から責められたが、

    「御堂の雨漏りを止めるため、勧進と

    して無辺を泊めていた」と答えると、

    かえって銀子三十枚を下された。


 ※機転の利いた理にかなった言動には、

  信長も感服するという良い例です。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊知地文大夫(いじちぶんた... | トップ | 石橋殿(いしばしどの »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事