『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

上山城衆(かみやましろしゅう)

2016-09-23 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
上山城衆(かみやましろしゅう)

〔現代かなづかい〕かみやましろしゅう


1581年2月京都の馬揃えで、惟任光秀・

    大和衆・上山城衆が馬場入り三番手

    をつとめる。

1582年2月信長信濃出馬の条々書き出しの

    中で、上山城衆は信濃への出陣の用意

    を命じられる。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 上方衆(かみがたのしゅう) | トップ | 亀井玆矩(かめゐこれのり)[... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事