『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

池田恒興(いけだつねおき)[3/4]

2015-10-25 09:35:31 | 信長公記の蔵:人物篇
池田恒興(いけだつねおき)[3/4]

〔現代かなづかい〕いけだつねおき


1581年8月「毛利輝元・吉川元春・小早川

    隆景が鳥取城の後巻きに出陣する」

    との風説により、信長は長岡藤孝・

    忠興父子、惟任光秀、池田恒興・

    高山重友・中川清秀・安倍二右衛門・

    塩河吉大夫らへ出陣の用意を命じる。

1582年2月信長信濃出馬の条々書き出しの

    中で、池田恒興は摂津の留守番を、

    子息元助・幸親が信濃への出陣を

    命じられる。


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