『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

多治見修理(たじみしゅり)

2018-02-07 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
多治見修理(たじみしゅり)

〔現代仮名遣い〕たじみしゅり


美濃衆。猿はみ城主。

1564年8月信長が伊木山に着陣すると、宇留摩

    の大沢、猿はみの多治見修理は開城し

    城を進上する。


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