『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

木村重章(きむらしげあき)

2016-12-15 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
木村重章(きむらしげあき)

〔現代かなづかい〕きむらしげあき


源五。

1554年7月柴田権六勝家清洲攻めのときの

    信長方あしがる。

1578年8月信長主催の安土の相撲に奉行と

    して参加。

1581年9月信長は安土城造営にかかわった

    諸職人頭(狩野永徳・息右京助、

    木村次郎左衛門、木村源五、岡部

    又右衛門・同息、遊左衛門・子息、

    竹尾源七、松村、後藤平四郎、刑部、

    新七、奈良大工)に小袖を下した。


↓ランキングに参加中。クリック応援よろしくお願いします!
にほんブログ村 歴史ブログ 戦国時代へ
にほんブログ村
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 木村いこ助(きむらいこすけ) | トップ | 木村次郎左衛門(きむらじら... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

信長公記の蔵:人物篇」カテゴリの最新記事