『いいかよく聞け、五郎左よ!』 -もう一つの信長公記-

『信長公記』と『源平盛衰記』の関連は?信長の忠臣“丹羽五郎左衛門長秀”と京童代表“細川藤孝”の働きは?

烏丸光宣(からすまるみつのぶ)

2016-09-30 00:00:00 | 信長公記の蔵:人物篇
烏丸光宣(からすまるみつのぶ)

〔現代かなづかい〕からすまるみつのぶ

 ※下線部は信長公記以外の記事によります。


烏丸弁殿・烏丸御方光宣朝臣・烏丸中納言殿。

光康の子。

1555年6月元服、従五位上に叙せられ、

のち左衛門佐・権右少弁・後左少弁・蔵人・

右中弁・左中弁・右大弁・蔵人頭を歴任。


1575年7月誠仁親王主催の蹴鞠の会に参加。

1577年正月正四位上で参議に任じられる。

1579年従三位・権中納言。


1579年11月誠仁親王の二条御新造への移徙

    に同行。

1581年2月京都での馬揃えに、公家衆として

    参加。

1587年従二位・権大納言。1611年11月従一位

に叙せられ准大臣に任ぜられたが、同月死去。

尊朝流の書にすぐれ、千利休との交誼も知られ

ている。



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