烏丸光康(からすまるみつやす)
〔現代かなづかい〕からすまるみつやす
※下線部は信長公記以外の記事によります。
烏丸殿烏丸氏は今の京都市中京区烏丸から
起きる。権中納言冬光の二男。
1519年元服、従五位上に叙せられ、諸官を歴任。
1527年近江にいた将軍足利義晴の許に寄宿。
1531年越前にいた将軍足利義晴の許に寄宿。
1546年従二位で権大納言となる。
1559~1566年石山本願寺に寄宿。
1568年従一位を授けられたが、1572年これを返上。
1572年9月の信長「異見十七カ条」のなかで、
「烏丸勘気を蒙るの儀」の項に出てくる。
1575年辞職。
1575年3月信長上洛時、今川氏真を接待する
為の蹴鞠の会に参加。
1579年4月27日(准大臣宣下をこうむり従一位に復して)死去。
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※下線部は信長公記以外の記事によります。
烏丸殿烏丸氏は今の京都市中京区烏丸から
起きる。権中納言冬光の二男。
1519年元服、従五位上に叙せられ、諸官を歴任。
1527年近江にいた将軍足利義晴の許に寄宿。
1531年越前にいた将軍足利義晴の許に寄宿。
1546年従二位で権大納言となる。
1559~1566年石山本願寺に寄宿。
1568年従一位を授けられたが、1572年これを返上。
1572年9月の信長「異見十七カ条」のなかで、
「烏丸勘気を蒙るの儀」の項に出てくる。
1575年辞職。
1575年3月信長上洛時、今川氏真を接待する
為の蹴鞠の会に参加。
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